衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月05日    木曜日     第5開示 合計307開示

如来蔵の自在と七識の心の不自在

如来蔵は如何にして自在であるのか。彼には六根がなく、六境に対応しないため、いかなる心の働きも生じず、貪・瞋・痴の煩悩もなく、また業行を造作することもない。故に業行に従って生死流転することはない。彼には眼がなく色を見ず、色に惑わされず、色に対して顛倒せず、色に束縛されない。従って自在である。いかなる良いものや宝物に対しても貪求せず、好ましい色も嫌な色も見ないため、色に動転せず、色に対して自在である。称賛されようと罵られようと、彼には耳がなく聞こえず、貪・瞋・痴の煩悩が生じない。故に音声に対して自在である。色法に対しても自在、声法に対しても自在、色・声・香・味・触・法の六境全てに対して自在である。彼には眼・耳・鼻・舌・身・意がなく、六境に対応しないため、心を動かさず念を生じず、六境に対し如如不動である。

では、我々衆生の七識心は六境に対して自在であろうか。自在ではない。眼が色を見れば色に束縛され、耳が声を聞けば音声に束縛され、鼻が香を嗅ぎ、舌が味を嘗め、身が触を覚えること、全て束縛される。七識心はこれらの色・声・香・味・触・法から離脱できず、色を見れば色に住着し、声を聞けば声に住着し、香を嗅げば香に住着し、味を嘗めれば味に住着し、触を覚えれば触に住着し、法を知れば法に住着する。如来蔵はこれらの法を見聞覚知せず、染まらず、執着せず、顛倒しない。故に彼は自在である。

この段落は如来蔵の体性を説くものである。悟った後はその体性に基づいて如来蔵に転依できる。悟る前に如来蔵のこれらの体性を知ることができれば、身・口・意が造作するその瞬間に、如来蔵がどのような体性か、どれほど清浄であるかを思い返し、自らがそれに随って学ぶことができる。六塵の境界に対しても貪・瞋・痴の煩悩を現起させず、清浄を保つべきである。こうすることは真の転依ではないが、大きな作用があり、常にこのように熏習すれば、心は転変することができる。

——生如法師の開示
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