観自在菩薩とは何でしょうか。菩薩には真の菩薩と仮の菩薩の二種類があります:真の菩薩とは生滅のない如来蔵の心体を指し、それは菩薩の五蘊身を微細に至るまで見守り、決して休むことがありません。もう一方は生滅性を持つ五蘊身の菩薩です。
自在もまた二種類に分けられます。一つは如来蔵自体が持つ自在性であり、それはいかなる法にも依存せず単独で存在し、何も必要とせず、生じることも滅することもありません。もう一つは五蘊身の自在であり、五蘊が解脱して初めて自在を得られ、解脱しなければ自在ではありません。
この五蘊身を持つ観自在菩薩は、その定慧が非常に深く、心のままに甚深な義理を観察し思惟することができ、これが自在です。いつでもどこでも自らの真如心の体性を観察できることも自在であり、その前提条件はすでに真如心を証悟していることです。そうして初めて深く細やかな観察を行うことができます。この菩薩は自らの真如心の体性がどのように作用するか、どのように五陰と和合して作用し万法を生み出すかを観察でき、また他の六道衆生の真如心がどのように作用し、どのように顕現し、五陰とどのように調和しているかを観察することもできます。これが自在です。
この菩薩の心は自在であり、五陰や万法に束縛されず、万法に貪着せず、心が万法を離れ、万法に執着しません。これが自在です。この菩薩はまた、すべての衆生の真如心が本来から存在し、いかなる外縁によっても生み出されたものではなく、いかなる外縁にも依存せず単独で存在することを観察できます。真如心は自在であり、妄心が相に着かず、執着しない時は万法に染まらず、これもまた自在です。
このような自在に達した時、菩薩の五蘊身は十方の諸仏国土を意のままに行き来でき、すべての色身は縁に随って変現します。これは自在であり、かつ比類なき自在です。一つの大千世界を意のままに変現でき、作意や加行を必要としないとは、なんと自在なことでしょうか。その前提条件は、この自在心——第八識、阿頼耶識——を証悟しなければならないことです。この菩薩は無量の神通を顕現でき、どの身をもって度すべきか応じれば、即ちその身を現じて説法し、四聖六凡の色身を意のままに変現します。これは大自在であり、その前提は深く般若波羅蜜多を行じ、甚深な般若智を証得し、心が自在を得ることです。
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