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日常法話

2018年04月06日    金曜日     第1開示 合計308開示

如何なる観自在菩薩

観自在菩薩とは何か。菩薩には真の菩薩と仮の菩薩の二種がある。真の菩薩とは生滅のない如来蔵の心体であり、それは菩薩の五蘊の身を微細に至るまで照らし、決して止むことがない。もう一つは生滅性を持つ五蘊の身としての菩薩である。

自在にも二種ある。一つは如来蔵そのものの自在性であり、いかなる法にも依存せず単独で存在し、何ものも必要とせず、生も滅もない。もう一つは五蘊の身の自在であり、五蘊が解脱して初めて自在となり、解脱しなければ自在ではない。

この五蘊の身を持つ観自在菩薩は、その定慧が非常に深く、心のままに自在に甚深の義理を観察し思惟することができる。これが自在である。いつでもどこでも自らの真心の体性を観察できる。これが自在であるが、その前提条件はすでに真心を証悟しており、初めて深く細やかな観察が可能となる。この菩薩は自らの真心の体性が如何に作用し、如何に五陰と和合して作用し万法を生じるかを観察でき、また他の六道衆生の真心が如何に作用し、如何に顕現し、如何に五陰と調和するかを観察できる。これが自在である。

この菩薩の心は自在であり、五陰や万法に束縛されず、万法に貪着せず、心が万法を離れ、万法に執着しない。これが自在である。この菩薩はまた、すべての衆生の真心が本来から存在し、いかなる外縁によっても生み出されたものではなく、いかなる外縁にも依存せず単独で存在することを観察できる。真心はすなわち自在であり、妄心が相に着かず執着しない時、万法に染まらなければ、これもまた自在である。

このような自在に達した時、菩薩の五蘊の身は十方諸仏国土に随意に往来でき、すべての色身が縁に随って変現する。これは自在であり、かつ比類なき自在である。一大千世界を随意に変現でき、作意や加行を必要としない。なんと自在なことか。その前提条件は必ずこの自在心——第八識・阿頼耶識を証悟しなければならない。この菩薩は無量の神通を顕現し、応に何の身をもって度すべきか、即ち何の身を現じて説法し、四聖六凡の色身を随意に変現できる。これが大自在であり、その前提は必ず深く般若波羅蜜多を行じ、甚深の般若智を証得し、心が自在を得ることである。

——生如法師の開示
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