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日常法話

2018年04月05日    木曜日     第2開示 合計304開示

諸法無我(二)

諸法無我には、人無我と法無我が含まれます。第八識の無我性は、大乗が証る法無我の内容の一つです。人無我とは阿含経に説かれる、阿羅漢が証る五陰十八界は我に非ずというものです。五陰から見ると、色陰は無から有へと生じ、生滅無常であって我に非ず;受陰は念念遷流し、変化不定であって我に非ず;想陰は生滅無常で、念念遷流し、変化不定であって我に非ず;行陰は生住異滅し、久しく住することができず、我に非ず;識陰は刹那刹那に生滅変遷し、生じては滅し、滅しては生じ、我に非ず。五陰は因縁所生であって、我に非ず。

十八界から見ると、前五根は無から有へ、有から滅へと、把捉することができず、我に非ず;第六根である意根は、識種が流注し、刹那生滅し、阿羅漢が涅槃する時には滅することもでき、我に非ず;六識はすなわち識陰であり、生滅変易して我に非ず;六塵、すなわち色塵・声塵・香塵・味塵・触塵・法塵は、無から有へ、有から無へと、縁生縁滅し、変化止まず、我に非ず。十八界の法は縁生縁滅し、無常変易であって、我に非ず。

これは総体としての五陰十八界の人無我です。小乗の法無我とは、五蘊・六入・十二処・十八界が輾転和合して生ずる一切の法の中に我が無いというものです。たとえば眼で色を見、耳で声を聞き、六根が六塵に触れ、行住坐臥し、着衣し食事をし、言談語笑し、善をなし悪をなし、内心で思惟し、領会し、分析し、研究するなど、この七つの識心の活動、この一切の法はいずれも真実ではなく、縁生縁滅し、無常変易で、久しく住することができず、この一切の法には我性がなく、すなわち我に非ずです。

大乗菩薩の人無我と法無我は、如来蔵という角度から五陰十八界の人我の虚妄不実性を観察し、蘊・処・界が和合して衍生する一切の法はいずれも如来蔵の功能作用であって、実体がないことを観察するものです。前に述べた小乗の人無我と法無我を含むほかに、第八識の無我性を証得することも含まれ、また七識心の能取が空であること、所取の六塵が空であること、すなわち能所がいずれも空であることも含まれます。五陰十八界の人空無我の部分は、第八識が五陰の種子と十八界の種子を与え続けてこそ、五陰十八界の一切の活動を維持することができるからです。

——生如法師の開示
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