問:なぜ坐禅をした後、日常生活で反応が鈍く動作が緩慢になるのですか?
答:禅定は一方で心の活動を緩やかにし、浮ついた気持ちを除去します。重要でない事柄には心を煩わさなくなり、権力者に媚びることもなくなります。他方、禅定は心を集中させ、思考を深く緻密にし、反応も鋭敏にします。初期は言語や動作が不器用に見え、行動力も弱まりますが、観察力は深く透徹し、心は細やかで敏捷になります。人や物事を見る目が以前より精確かつ詳細となり、大事において騙されにくくなります。大賢は愚に似た様に見えますが、実際は心を細事に用いず、真の智慧が徐々に向上しているのです。
問:決まった坐禅の時間になると、座りたくなります。これは坐禅に慣れたということでしょうか?
答:決まった時間と場所で坐禅を続けると、やがて習慣が形成されます。習慣が身につけば、周囲の騒がしい環境に妨げられることなく、心を空(くう)の状態に保てます。習慣とは意根の慣性作用であり、意根は執着しやすい性質を持っています。繰り返し行う行為は、思考を介さず慣例に従って実行されるようになります。習慣には良くない面もありますが、良い面も存在します。習慣をうまく活用し、良い習慣を身につければ、努力が半分で成果は倍増します。
問:気血が不足している人が坐禅で身体が空(くう)の状態になると、気血がさらに不足するのでしょうか?それとも改善されるのでしょうか?
答:坐禅そのものには気血を調え、体質を改善する作用があります。体内に疾患がある場合、坐禅は気脈を規則的に巡らせ、気血の流れを活発にします。すると体内の病気は体表から外へ排出され、一見病状が悪化したように見えますが、実際は内部の病が外部に現れ、症状が顕在化しているのです。坐禅を長く続ければ、あらゆる身体の疾患は好転し、体質は向上します。
問:坐禅を続けてきましたが、今は壁にぶつかり、心が非常に散乱しています。どうすればよいでしょうか?
答:修行がある程度進むと、業障が現れて道を阻みます。これは精進の結果です。この時は業を消す必要があります。どのように消すかと言いますと、仏前にて無始劫以来の罪業を懺悔します。朝晩の勤行課本に記載の懺悔文に従って懺悔すれば十分です。今生の罪業を仏前にて露わにし、二度と犯さないと誓うことで、業種は一部消滅し、修行の障りが減少します。また『地蔵経』を読誦し、無始劫以来の怨親債主や家親眷属に回向する、あるいは楞厳咒を唱えることも業を消す方法となります。
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