衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月06日    金曜日     第5開示 合計312開示

無所住に関する問答

問:普段どのようにして無所住を実践すればよいのでしょうか。六識が六境に触れた時に分別しないことなのでしょうか。

答:これは純粋に禅定を修め煩悩を調伏する方法です。智慧と相応するためには、六根が六境に触れた時、六塵の境界が虚妄で実体のない性質であることを観じ、六塵の境界が如来蔵から顕現した影であることを了知すべきです。それは如来蔵の鏡に映るものであり、如来蔵に属し、如来蔵の性質であり、実在の境界ではありません。このような心念を起こすことが正念であり、実相の智慧と相応し、境界の束縛から脱し、心の解脱を得ることができます。

無所住は結果です。修めが究極に至ると、七識心は如来蔵のように清浄となり、無学の大乗菩薩となります。多くの仏法修行者は、学べば学ぶほど執着が増し、執着や煩悩が減らないばかりか、世俗が減らず、かえって世俗法の束縛を増し、煩悩や執着を増大させています。これが菩提心を忘れて法を学んだ結果であり、世俗的な求める心で学法した結果です。

問:おそらくこれが「応無所住而生其心」についての最も了義的な開示でしょう。六塵に住せず、六塵に執着せず、六塵を了別することを妨げず、了別した後に痕跡を留めない。なぜなら、すべての六塵は第八識の鏡像であり、智慧ある者は鏡像に住することはできないと知っており、仮に住しようとしても無住だからです。もし明心した者であれば、如来蔵の無住の識性に転依できます。問題は、「応無所住而生其心」が悟り前を指すのか悟り後を指すのかということです。ご指導ください。

答:もともと無住であるその心を見つけることが、即ち明心して証悟することです。証悟した後、絶えず五陰身心の作用において、第八識が五陰身心を生じる時の無住性を観察し、第八識が六塵を生じ保持する時の無住性を観察するにつれ、七識心はこのような心こそが清浄であり仏の心であると感じるようになります。そこで七識はこれに対照し、次第に第八識の影響を受け、世間の活動においても徐々に六塵の境界に住せず、心はますます清浄となります。これが悟り後の清浄無住の第八識への転依であり、真に証悟した後の転依です。解悟した時点で転依するのではなく、転依が成就して初めて証悟者となるのであり、「解悟後に転依して初めて証悟する」という説は存在せず、それは大きな誤解です。

——生如法師の開示
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七識の心は如来蔵に倣うべく、六塵の境界に執着せず

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七識の見分と見大の関係、見大と識大の関係

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