如来蔵には七大種子があり、地・水・火・風・空・見・識であり、如来蔵はこの中の六大種子を用いて衆生の五蘊十八界の機能を形成する。その中の見大とは如来蔵自体が有する見性であり、明と暗に属さず、明と暗の影響を受けず、その作用力は縁に随って存在し、縁が現前する時には如来蔵の見性が存在する。
一方、如来蔵の識大は直接に七識心を形成する。これにより七識心は了別・分別性を有するようになる。七識心の了別・分別性は七識の見分であり、如来蔵の見性とは異なる。七識の見分には生滅があり、如来蔵の識大種子に依って存在する。しかし如来蔵の見性は永遠に存在し得る。ただし無余涅槃においては、六根六塵の縁が無いため、如来蔵の見性は現起しない。
如来蔵自体の識性もまた生滅がなく、如来蔵の見性とは平行並列の関係にある。これに対し、生じられた七識には生滅がある。なぜなら生み出されたものだからである。すなわち、如来蔵の七大種子は本来如来蔵性であり、元来不生不滅であり、七大種子こそが如来蔵である。見大は如来蔵の見性である。『楞厳経』に「見覚空頑」とあるのは、仏性の覚が六塵の境界を覚知しないことを指す。これに対し、七識の見性は空頑ではなく、具体的対象を分別でき、因縁条件があって初めて作用を起こす。しかし見大は永続不滅であり、無余涅槃においてすら永続不滅である。七大種子は無余涅槃においても全て永続不滅・不生不滅である。以上は『楞厳経』第三巻に基づいて述べた。
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