衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月07日    土曜日     第6 回の開示 合計318回の開示

如来蔵の分別性と非分別性

如来蔵には元々七識の種子が含まれており、これらの種子が発現して六塵を了別した後、再び戻ってくる際には了別と造作の内容を共に持ち帰ります。如来蔵はこれをアーカイブすると同時に、七識が何を行ったかを認識します。もし七識が貪瞋痴の業を造作すれば、戻ってくる種子は汚染され、保存後に再発現する時には汚染された種子となり、七識の心行は自然と貪瞋痴を帯びたものになります。もし七識が清浄な業を造作すれば、戻ってくる種子は清浄であり、再発現する際には七識の心行も清浄となります。これらの種子は我々の身口意の行いに従って絶えず清浄性と汚染性を転換し、清浄が多ければ汚染が少なくなり、汚染が多ければ清浄が少なくなります。清浄性と汚染性が同時に増減することはなく、常に一方が増えれば他方が減る関係にあります。

このように見ると、七識の種子の数は固定的であり、数量的な増減は発生しません。もしそうでなければ、衆生の善性が増すと同時に悪性も増し、あるいは善業が減ると同時に悪業も減るという不合理な事態が生じますが、それは不可能なことです。

——生如法師の開示
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