衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月07日    土曜日     第3開示 合計315開示

修定の奥義

禅定の奥義は意根にあり、目標も意根にあり、目的も意根にあります。それは意根を調伏し、意根の機能を発揮させるためです。意識が心を一処に制するとき、意根をして一処に作意せしめ、意識が散乱しなければ、意根もまた散乱しません。意識が散乱しないときは了別が減少し、意根を妨げず、意根に集中して作意させます。意識の思惟が微細で明晰であれば、その思惟の内容が意根に伝わり、意根は意識の思惟観察する法に注意を集中できます。意根が散乱しないときは、これらの法に専心して思量し、そうして初めて法を悟ることができるのです。

仏が四念処観を用いて我々に禅定を修めさせる原理は、意識の作意を通じて、意根を意識が作意する目標に注がせ、散乱させないことにあります。例えば、意根を常に身根の呼吸や歩行に作意させ、他には作意も攀縁もしないようにします。そうして初めて専心して意識が了別する法を思量了別し、頓悟して智慧を開くことができるのです。頓悟とは意根の悟りを指し、理を少しずつ明らかにするのは意識が分析を積み重ねた結果です。

非常に興味深い境界を観想すれば、意根をその観想に縛り付け、心を静めます。気脈が流動し、心理的な感覚が快適であれば、意根はより興味を持ち、専注・得定は問題ありません。意識は非常に聡明で、一つの法を思惟分析するのは問題ありませんが、鍵は意根に理解させることで、これが困難です。必ず意根にも注意力を分散させず、意識から伝達される情報を受け入れ、さらに加工処理して吸収させれば、自らの結論、すなわち法を悟るに至り、豁然として大悟するのです。身心に様々な状態が現れるのは、意根が引き起こすものです。

——生如法師の開示
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七大種子の本質は如来蔵である

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修定の原理と目標

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