衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月11日    水曜日     第6開示 合計338開示

《首楞厳経における弥勒菩薩の唯識観修行説》

識性より無量の如来が流出する。この言葉は極めて重要であり、如来蔵より流注されるいかなる法も、すべてが如来蔵そのものであり、すべてが如来であり、すべての法が真如である。

十方が唯識であると諦観し、識心が円明となり、円成識に入り、依他起性及び遍計所執性を遠離して、無生忍を得る。

微塵に至るまで十方世界を細心に観察すると、すべてが唯だ如来蔵の円成識性であり、如来蔵によって変造顕現されたものであって、ことごとく如来蔵性である。識心たる如来蔵が円満妙明にして一切の法を現出しているのである。このように観察した後にはじめて、自心の如来蔵に入り、究竟的に徹底して如来蔵に転依し、もはや依他起性の六識心に依らず、遍計所執性の第七識にも依らず、すべてを真心自性、真如仏性に依拠するようになる。一切の法が如来蔵であり、一切が真実に生じたことがないことを証知し、如来蔵の自性もまた生じたものではなく、本来から存在するものであることを悟り、法執は即座に断たれるのである。

——生如法師の開示
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塵労煩悩を止滅し、寂静清涼を証得す

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