衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月12日    木曜日     第5 回の開示 合計343回の開示

意識の慧と意根の慧

意根の慧力に関する問題について、意識の全ての智慧は意根に落とし込まれて初めて成功し、目的を達成し、種子を蓄え、後世に役立ち、最終的には意根の慧力が一切の作用を起こす。意根が証果を得るには初果から四果に至るまで、もし心を明らかにするならば初めに心を明らかにしてから仏に成るまで、全て意根の慧が作用する。意識の慧の結果は意根が識を智に転じさせ、大智慧を具足し、最終的に仏となることである。

意識の慧と意根の慧の違いは、意識には論理的思考・分析・推理の作用があり、比較的抽象的な思考が可能である点にある。一方、意根は抽象的思考ができず、具体的で筋立てがあり、映像を伴う必要があり、現量であるほど良く、現実的であるほど良い。意根は分析的な思考能力を持ち難く、論理的推論判断を行い難い。この方面は意識に依存し、他の現量の事物は完全に自己に依拠できる。もちろん意識の補助があれば最速最善である。よって図文や映像があり、眼前の筋書きや情景があるものは意根と相応じ、意識の記憶は牢固となり、非常に理解し易くなる。これがその道理である。六根が互いに通じ合い作用する時、意根は意識に代わり、五識にも代わる。楞厳経で大迦葉が円明に了知したことが、この道理を説明している。

——生如法師の開示
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