問:ある人が「地水火風空見識」について、地水火風の四大のみが大種であり、他の三つ(空・見・識)は大種ではなく、普遍的でもないと言っていますが、そうなのでしょうか。
答:種子には出生義と転変義があります。例えば花の種は花を生じ、樹の種は大樹を生成します。如来蔵中の七大種もそれぞれ法に転変し、特定の機能を発揮するため、全て種子であり、大きく普遍的です。地水火風空は宇宙器世間を和合して生じ、三界に遍在します。色ある所は四大種が形成し、無色の所は空大種が形成します。物質色法にも空大が存在しなければ、物質に空隙や密度がなく、内部での物質の流動も生じません。
物質のない所を虚空とし、これも後天出生の法です。楞厳経に「虚空は汝の心内に生ず、一片の雲が泰清の裡に点ずるが如し」とある通り、世尊は虚空も如来蔵の本心より出生すると明示されました。これは無色の色法で、弥勒菩薩も瑜伽師地論第一卷で「空は明暗色と眼根に対し、眼識の見る所」と説き、空を色法の一種とされています。眼識が物質の色彩と空間を認知するのは、空大種が生成するためです。空大種は無用の存在ではなく、物質の空隙・密度・生成場所を成立させ、世界を安立する重要な機能を持ちます。
父子合集経で世尊が説かれた六界(地水火風空識界)において、六大は六界を指し、空大も種子として独自の機能境界を持ちます。四大・五大種と異なり、虚空を生成し、識大種が生む七識とも区別されます。これにより十方世界が安立されるのです。
同様に如来蔵中の識大種も五識・六識・七識を形成し、分別作用を発揮します。見大種は如来蔵本体に見性を与え、一切法を運行・出生・円成させます。例えば衆生が眼識で色を見るように、如来蔵も見性によって一切法を運行するのです。七大種は全て生成義を持ち、無用の名目ではありません。
七大種は法界に遍満することを経文が証明します。楞厳経第三巻「虚空の性円周遍く、本より動揺せず、現前の地水火風を均しく五大と名づく。性真円融にして皆如来蔵に本無生滅」とある通り、虚空も如来蔵性であり、空大が生成したものです。
同経に「見聞覚知の性円周遍く、本より動揺せず、無辺不動の虚空並びに動揺する地水火風を均しく六大と名づく」と明示され、見大種も法界に遍満し見根を出生させ、七識の見聞覚知性を成立させます。
さらに「識心本より従う所無く、了別見聞覚知は円満湛然、性は従う所に非ず。虚空地水火風を兼ねて均しく七大と名づく」と説かれ、識大種が六識・七識を生成し、了別性を持って法界に遍満することが示されています。
総じて七大種は並列し、衆生の五陰十八界と宇宙器世間を生成し、法界に遍満して業に循って顕現するのです。
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