問:普段から楞厳呪を心の中で唱える習慣がつき、心の奥底で意識し続けるようになった後、もし心の深層で法に対して疑念が生じたならば、その疑念で呪文を置き換えることはできるでしょうか。そうすれば、歩く・座る・寝るといった日常の動作すべてにおいて参究できるようになるのでしょうか?
答:疑念が生じた時は、必ず専心して参究しなければなりません。ほんのわずかな気の散りもあってはならず、そうしてこそ疑念を効果的に解決し、智慧を生み出すことができるのです。智慧を生み出すこと以上に重要なことは何一つありません。呪文を唱えることも、この究極の目標のためのものであり、単なる悟りへの入り口に過ぎません。呪文を唱えることを修行の目標と見なすべきではなく、あくまで道具として使用すべきです。
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