問:五遍行心所は八つの識すべてに存在するはずですが、なぜ善も思わず悪も思わないのでしょうか。
答:八つの識には確かに五遍行心所(作意・触・受・想・思)が備わっていますが、それぞれの識がすべての法に対して作意・触・受・想・思を行うわけではありません。これには選択性があります。各識の相分は大きく異なり、各識は自分に対応する相分に対してのみ作意・触・受・想・思を行い、対応しない相分にはそれらの働きを向けません。さらに、六つの識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)は絶えず生滅を繰り返しており、滅した後はどのような法に対しても五遍行心所が機能しなくなります。
「善も思わず悪も思わない」とは、第八識(阿頼耶識)がもともと善悪の法相を決して思量しないことを指します。一方、第六識(意識)と第七識(末那識)は常に善悪の法相を思量しようとします。しかし修行がある程度に達すると、第六識と第七識も善悪の法相を思量せず、善悪の法相の真如の体性をそのまま見るのである。
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