如来蔵は四大種を出力し、ある物質色法を生成する。それは黄金で金の盆を造るようなもので、物を盛る必要がある時には金の盆を用いる。金の台所用品が必要な時には金の盆は用をなさず、金の盆を壊して再び金の台所用品を造るのである。
如来蔵もまた同様であり、この物質色法が滅すると四大種は如来蔵に還流する。他の物質色法が必要な時には、如来蔵は再び四大種を出力して他の物質色法を生成する。したがって、一切の法は即ち如来蔵であると言われる。如来蔵と一ならず異ならず、それぞれに用を有し、それぞれに性を有し、それぞれに相を有し、それぞれに体を有する。そして一切の法の性は如来蔵によって決定され、一切の法の相は如来蔵によって決定され、一切の法の体は如来蔵によって立てられ、一切の法の用は如来蔵によって賦与される。よって一切の法は即ち如来蔵であり、一でもなく異でもない。
如来蔵は生滅せず、七大種は生滅せず、一切の法は生滅するように見えるが、根本においてはやはり生滅しない。滅してまた生じるならば、滅びることがあろうと生じることに何の差し支えがあろうか。如来蔵があり、七大種がある限り、一切の法は永久に滅することなく、断続的に存在することに何の妨げがあろう。
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