衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
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仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月14日    土曜日     第1 回の開示 合計351回の開示

如来蔵における空大

世尊は『楞厳経』第三巻において次のように説かれている:**「如来蔵の中において、性覚は真空であり、性空は真覚である。清浄にして本然のままに法界に周遍する」**。これは虚空の性質こそ如来蔵の本性であり、空大と如来蔵は一でも異なりでもなく、空大は十方法界に遍満し、空大が虚空を生じることを意味する。経典には**「虚空は汝が心の内に生ず。一片の雲が泰清の裡に点じるが如し」**とある。ここでの「心」は如来蔵の心を指し、虚空は如来蔵の心の中に生じたもので、しかも如来蔵の中ではごくわずかな位置を占めるに過ぎない。あたかも雲が虚空の中に占める割合のようなものである。

衆生が生存する世界において、虚空はどこから来たのか?物質の中の空隙はどこから来たのか?居住環境の空間はどこから来たのか?細胞の中の空隙、身体の中の空隙はすべてどこから来たのか?虚空と各種の空間にはどのような作用があるのか?これらの空は広狭を問わず、無から有へと生じたものであり、すべて生滅の性質を持つ。既然生滅の性質を持つならば、これらの空を生じる種子が存在し、空は初めて生じることができる。万法はすべて如来蔵から生じ、空もまた万法の一つであり、如来蔵によって生じる。そして如来蔵は空大の種子によってのみ虚空を生じることができる。

如来蔵が生じる空には、外界の虚空と空間、また身体内の空隙と空間が存在する。外界に空間があるからこそ、一切の色法を容受し、物質が運行し、音声・気体・味塵が伝播し、各種のエネルギーが伝達され、衆生は虚空の中で生存することができる。外界の虚空はすべての衆生の如来蔵が共同で空大の種子を出力して形成したものであり、すべての衆生の如来蔵が共同で保持している。虚空は絶対的な重要な作用を果たしており、十方世界はすべて虚空の中に建立され存在する。星体は虚空の中を運行し、衆生は虚空の中で行住坐臥し、各種の生存活動を行い、各種の物体は虚空の中に存在し運行する。

各種の物質の中にも空隙と空間があり、その空隙の多少の違いによって物質の構造が異なり、密度が異なり、物質の性質が異なる。物質の中の空間もまた、共業の衆生のすべての如来蔵が共同で形成し保持している。物質の密度とは、物質の中の空の成分である。空の比率成分が異なれば物質構造が異なり、物質の物理的属性が異なる。もし物質の地水火風の成分が同量であっても、空大の比率が異なれば物質の体積が異なり、密度が異なる。

例えば圧縮ビスケットが普通のビスケットと異なるのは、普通のビスケットを圧縮することでビスケット内の空間が減少し、水分が絞り出されるためである。ビスケット中の地大成分の占める比率が多くなり、ビスケットの密度が大きくなる。食べると満腹感を得やすく、空腹を感じにくい。もし物質が膨張すれば空の成分が増加し体積が大きくなり密度が小さくなり、物質の性質作用が変化する。よって空大は物質の中でも非常に重要な作用を果たしている。

空間が異なれば、物質運動が生むエネルギーも異なる。例えば走高跳と走幅跳びでは、助走距離の空間的長短が異なり、長すぎても短すぎても弾力は小さくなる。空間距離が適切であれば助走の勢いが大きくエネルギーが大きく、弾力も大きくなる。つまりエネルギーが大きいほど跳躍は高く遠くなる。また壁に向かって石を投げる場合、壁との距離空間が異なれば石が壁に当たる力も異なり、つまり勢いとエネルギーが異なるため、壁の損傷程度も異なる。よって空間・虚空は非常に重要な法であり、生命体が密集して生活する場合、空間が小さければ生きることに不自由を感じる。例えば養鶏場で活動空間が狭すぎれば鶏が病気になり、場合によっては死に至る。

空には、衆生の如来蔵が共同で造り出した虚空もあれば、衆生個人の如来蔵が造り出した空間・空隙・隙間もある。身体の中の空間と空隙は自己の如来蔵が単独で空大の種子を用いて造り出したものであり、細胞の中の空も含まれる。身体の各組織構造の中にはすべて空隙と空間があり、衆生個体の如来蔵が単独で空大の種子を用いて生成したものである。身体の中に空間があるからこそ、飲食・気体・血液が流動し、衆生は呼吸し生命の存在を維持できる。内臓の中に空があるだけでなく、骨格・筋肉・各種の液体の中にも空がある。身体の中で最も微小な細胞組織の中にも空間があり、細胞内の各種分子構造の中にも空隙がある。これにより分子・イオンなどの微粒子が運行でき、細胞は新陳代謝を行う。分子の中の空大成分が異なれば分子構造が異なり性質が異なり、身体の中で果たす作用も異なる。四大に空大を加えて衆生の三界世間を構成し、五大は一切処に遍満する。

虚空空間は色法の一つであり、眼識の現量分別境界である。また眼識と耳識が生起する一つの縁であり、生滅の性質を持つ。虚空は亀の毛や兎の角のような想像上の虚構ではない。虚構のものは眼識で見ることも分別することもできず、純粋に意識の非量境界に属する。しかし虚空は色辺色であり、眼識が一見すれば直ちに空と知る。よって虚空は有法であり、後天的に生成され、将来必ず滅する。無余涅槃の境界にはいかなる空も空間も存在せず、まして虚空など存在しない。よって虚空と空間は如来蔵が空大の種子を用いて生成したものであり、空大の種子には生成の意義がある。故に七大の中の空大は種子であり、空間・空隙・虚空を生じることができる。衆生は虚空の中で生存でき、物質は虚空の中で運行できる。五陰世間は虚空から離れられず、空大から離れられない。空大には生成の意義がある。空こそ如来蔵である。空大は十方界に遍満し法界に周遍する。これが如来蔵の本性である。楞厳経に言う:**「空は大覚の中に生じ、海の一泡の起こるが如し」**。空生とは虚空が生じることで、大覚心から生じたものである。あたかも大海中の泡沫が生じ、最終的には滅するように、生滅するものは虚妄である。よって如来蔵が虚空を生じるには作用があり、虚空がなければ一切法の存在と運行もない。虚空のこのような作用は虚妄の用であり、生滅の性質を持つ。如来蔵が独存する境界においては、わずかな隙間さえ存在せず、まして虚空など存在しない。故に空大は種子であり、生成の意義を持ち、各種の空を生じる。すべては如来蔵の本性である。

——生如法師の開示
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