衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年04月16日    月曜日     第4 回の開示 合計364回の開示

「なぜ法法はすべて真如なのか」

なぜ法法ことごとく真如であり、尽く大地は法王の身であるのか。  尽く大地が法王の身であることは、まことに偽りなし。微塵ほどの場所といえども、すべて法王の住持するところであり、法法ことごとく真如、一粒の微塵もすべて真如である。法法は何を含むのか。三界世間の一切法を含み、大は三千大千世界・宇宙虚空より、小は微塵・細菌に至るまで、すべて真如である。草の葉の先に西来の意あり、寸草も寸糸も自性を離れず、真如を離れない。この境界を証得すれば、すでに如来の家に入り、極めて長き時を修行したことになる。

なぜ法法ことごとく真如なのか。一切の法は真如の心体である如来蔵中の七大種子より生じたものであり、七大種子を離れて存在しうる法は一つもないからである。七大種子は世間に満ちわたり、華蔵世界に満ち、世界海に満ち、一真法界に満ちる。

七大種子は皇帝の黄衣のごとく、如来蔵は皇帝のごとし。皇帝が世界を遍く巡れば、黄衣は身を離れず、黄衣を見れば皇帝の出現を知る。世間に如来蔵の土壌ならざる所なく、その到達せざる所なく、その所在ならざる所なく、その影なき所なく、その法ならざる所なし。虚空より地上に至るまでことごとく彼なり、山河大地は尽く法王の身を露わにし、すべて如来蔵の顕現したものであり、如来蔵の執持に依って初めて存在しうる。

青青たる翠竹は般若に非ずといえども、鬱々たる黄花は尽く法身、世界は満ち満ちて仏なり。これらの言葉を真に理解し証得するには、必ず初地以上の境界に至らねばならぬ。世間出世間に一法・一処・一時として真如ならざるはなく、法法ことごとく真如、これが地上菩薩の現観境界である。世間に独立して存在し単独に成立しうる法は一つもなく、すべて真如の変現し、真如の執持する所、生も滅も、すべての変異は真如の為す所なり。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

一真法界の真意

次の記事 次の記事

「仏陀はなぜ無余涅槃における第八識を見いだせないのか」

ページのトップへ戻る