衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月17日    火曜日     第1 回の開示 合計366回の開示

生滅の法を透視し究めたその先に無生の不生不滅の法たる如来蔵あり

一切の法は世俗諦と勝義諦に分かれる。世俗諦は相の上から観察でき、これらの相は虚妄によって現れた幻のような仮の相であり、極めて多くの虚妄的な作用を持つ。表面的な現象としての作用はあるものの、それも実体のない虚妄である。例えば衆生の五陰において、色陰には否定できない虚妄的な作用があるが、作用があるにもかかわらず、やはり生滅の法であって真実の法ではなく、真に受けるべきではなく執着すべきでない。受陰・想陰・行陰・識陰も同様に、否定できない虚妄的な作用を持つが、同様に実体がなく幻化したものである。

これらの幻化した仮の相は、ただ様々な因縁によって集められたものであり、縁起性空であるが、誰が集めたのか。如来蔵が集めたのである。如来蔵は衆生の業種に基づき、四大の種子・六大の種子を用いて五陰世間の一切の法を合成する。表面上はもちろん生滅するものである。しかし本質的に、これらの生滅法は全て如来蔵の中の材料で作られたもので、その本質は全て如来蔵に属し、一つとして如来蔵の外に出るものはない。したがって本質的に見れば、一切の生滅法はすなわち不生不滅の如来蔵であり、如来蔵に依るが故に不生不滅である。生滅法を形成する六大の種子が不生不滅であり、永遠にこれらの生滅法を変造し続けるため、生滅法は最終的には不生不滅となるのである。

——生如法師の開示
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如来蔵なくして一切法なし

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