深く思惟する方法、つまり意根の機能を十分に発揮させる方法とは、意識が思惟し参究すべき教理の問題を明確に分析した後、その問題を一点に凝縮して内心に懸けておくことです。こうして意根に委ねれば、以後の作業は意根が処理し、意識はそれに協力する役割を果たします。
実のところ全ては意根が必要とし解決するものであり、意識は意根が問題を解決するための道具であり、五識もまた意根が問題を解決する道具です。第八識さえも意根が問題を解決する道具となります。意根はこれら全ての道具を利用して自らの必要を満たし、自らの目的を達成します。従って全ての問題は最終的に意根自らが解決し、自ら承認しなければなりません。一切法を証得するには意根が直に証得しなければならず、そうして初めて意根は安心し、問題解決と見做すのです。
このようにして一切法の修証問題については既に根源的かつ徹底的に説き尽くされており、議論の余地はありません。これを認めるか否かは各人の智慧の問題であり、仏法そのものとは関係ないのです。
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