衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月18日    水曜日     第2開示 合計376開示

意根の思量性

法师様に一つの事例をご提供申し上げます:私が何か問題を抱えた際、禅定の状態に入って問題を提起した後、直接その問題の解決策を見ることができました。問題解決は思考の結果ではなく、直接的な観察の結果によるものです。

事例解析:ここで彼が言う「思考」とは、意識表面の思惟作用を指します。しかし、問題を意根(末那識)に委ねさえすれば、意識表面が思考しなくても、意根は独自の思量性と思考力を有しており、一般人の意識ではこれを観察できず、了知することができません。意識が思惟思考を行わなくても、一定の時が来れば答えが得られます。この答えはどこから来るのでしょうか? それは意根自らが思量して導き出したものであり、意根の思量作用は非常に優れたものです。参禅の最終段階における参究は、多くが意根の思量機能によって作用しています。この事実を多数が認めるか否かにかかわらず、これは紛れもない事実です。

賢明な方は決してこのような多数派の一人にはなりません。

——生如法師の開示
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意識心が観察し得ない法は存在しないとは限らない

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一切法は意根自ら証得すべし

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