問:部屋の埃は普段は見えないが、陽光が差し込んだ時に初めて見える。座禅も同様で、普段は自分の妄念の多さに気づかないが、座禅を始めると意識するようになる。まるで部屋に差し込む一筋の陽光のようだ。なぜ座禅の時に自身の妄念の多さを観察できるのか?
答:誰もが普段から妄念が非常に多く、大小様々な細かい念が数えきれず、来ては去り去っては来る。止めることができない。心の念が集中していない、あるいは心が清浄でないために、これらの念の生滅を観察できないのである。心の念が清浄で定力があり、念が集中した時に初めて、自らの心の中に多くの念があることに気づく。故に禅定は良いものであり、反観力を得させ、集中力を高め、心を細やかにさせ、普段は発見できない問題を見つけられる。問題を発見すれば解決策が生まれ、それによって智慧が得られる。
誰もが普段非常に多くの煩悩を抱えているが、慣れっこになって感じられない。暇になった時、何度も自分を観察する余裕ができて初めて、自らの心が煩悩で満ちていることに気づく。自らに煩悩があると知れば道は開ける。遅かれ早かれ慚愧の心が生じ、心力が充足した時にこれらの煩悩を降伏させられる。自らの煩悩を知らないのは、煩悩がないからではなく、まだ悟っていないからであり、発見し認めることを望まないからである。
3
+1