衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年05月25日    火曜日     第1開示 合計3413開示

四念処観行問題解答24

<h2 style="text-indent: 2em;">問:部屋の中には埃がたくさんありますが、普段は見えず、陽の光が部屋に差し込んで初めて埃が見えます。座禅も同じで、普段は自分の妄念が多いことに気づいていませんが、座っているときに初めて気づき始めます。それは部屋に差し込んだ一筋の陽光のようなものです。なぜ座禅をしているときに自分の妄念の多さを観察できるのでしょうか?</h2>

答:誰でも普段から妄念が非常に多く、大小さまざま、細かく断片的なものまで数えきれず、来ては去り、去ってはまた来て、止まることがありません。心の念が集中していなかったり、心が十分に清浄 (viśuddha/pariśuddha) でなかったりするため、これらの念頭の生滅を観察できないのです。心の念が清浄 (viśuddha/pariśuddha) で、定力があり、念頭が集中しているときには、自分の心の中に念頭が多いことに気づくものです。だから禅定は良いものであり、私たちに反観力 (pratyavekṣā-bala) を与え、精力を集中させ、心を細やかにさせることができ、それによって普段は発見できない問題を発見できるようになります。問題を発見すれば、それを解決する方法も見えてくるので、智慧が生まれるのです。

誰でも普段から煩悩も非常に多く、習慣になってしまっているため感じられませんが、暇ができて、精力を使って繰り返し繰り返し自分を観察してみると、初めて自分の内面が煩悩だらけであることに気づきます。自分に煩悩があると自覚できれば話は早く、遅かれ早かれいつかは慚愧の心が生じ、心力が十分になればこれらの煩悩を降伏できるようになります。自分の煩悩を知らないということは、自分に煩悩がないという意味ではなく、まだ覚悟していないからであり、発見して認めることを望まないからなのです。

——生如法師の開示
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