衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月24日    火曜日     第3開示 合計410開示

世の中に秘められたことはあるでしょうか

すべての人の如来蔵は非常に優れており、その機能と性質は想像を絶するものである。智慧が不足している衆生は、如来蔵の運営の秘密を理解することが難しく、如来蔵が一切の法を執持する作用を理解することが難しい。そのため、如来蔵には不可知の執受があると言われる。もし智慧が比較的深く広大であるならば、次第に如来蔵のさまざまな執受作用を理解するようになり、もはや如来蔵の執受が不可知であるとは言えなくなる。知るか知らないかは、各人の修持と智慧による。

如来蔵は常に変化し、五陰身に関連する一切の法や五陰身の生存環境、六塵の境界を執持している。五陰身のどんな小さなことも如来蔵の知るところであり、如来蔵はすべてを了知し、記録する。将来、果報が現れるのである。例えば、当事者に知られない背後で、ある人を呪い罵り侮辱した場合、両者の如来蔵はともに記録する。将来、二人が出会うと、理由もなく互いに心に隔たりを感じるようになり、一方がもう一方に報いることになる。この件は呪われた当事者の五陰は知らないが、彼の如来蔵は知っているため、記録されるのである。

なぜあの人の如来蔵が知ることができるのか?それはすべての人の如来蔵の性質は同じであり、同類に属し、かつ一切の時、一切の処、一切の界、一切の地に遍く存在するからである。つまり、如来蔵は過去・現在・未来の一切の時に遍く存在し、六根の処と六塵の処に遍く存在し、六識の界に遍く存在し、また欲界・色界・無色界に遍く存在し、十方世界に遍く存在する。そうであるならば、執持する五陰に関わることについては、如来蔵はすべて感知し、知ることができる。さらに、如来蔵と如来蔵の間には、互いに調整し協力する関係もある。

自分が行ったすべてのことは、自分の如来蔵が記録する。自分に関わるすべてのことは、自分の如来蔵が収集して記録する。したがって、意根は如来蔵の了別に依って自分に関わるすべてのことを知り、意識に特別なことが起こりそうだと警戒させる。なぜなら、如来蔵は将来のことを知っているからである(具体的な内容は知らないが)、何らかのことを暗示して五陰に警戒を促すのである。

二人がこそこそと話をし、他人の是非を議論すると、二人の如来蔵はともに記録し、第三者の如来蔵も感知して同時に記録する。すると第三者の意根は自分の如来蔵に依って何かを感知し、自分の意識に警戒を促す。意識は何かあると知るが、具体的なことはわからず、心の中では奇妙な感じがする。二人に会うと少し不自然になり、その二人もこの人に会うと少し不自然になる。したがって、この世には秘密などまったく存在しないのである。

如来蔵はまた五陰が生存する依報の環境、六塵の境界を執持する。もし六塵の境界が自分の五陰に属するならば、如来蔵は執持する。もし依報の環境が五陰身と縁がなければ、如来蔵は直接執持できず、共業の衆生の如来蔵が共同で執持しなければならない。例えば、ある人が一鉢の花を育て、非常に良く育ったとする。それを別の人に贈ると、花は別の人の家に移り、うまく育たず、次第に萎れていき、やがて枯れてしまうかもしれない。これは衆生の依報に関係がある。ある果樹園の果樹や家畜は、ある人が管理・飼育すると非常に良くなるが、人が変わると家畜や果樹は良くなくなり、様子が変わったり枯れたりする。これらはすべて業縁によるものである。家畜は縁のある主人に飼育されると生活が非常に良くなるが、縁がなかったり縁が浅い主人と一緒だと生活が悪化し、やがて死ぬことさえある。臓器移植も同じ理屈である。他人の如来蔵が執持していた臓器が自分の体に移植されると、徐々に自分の如来蔵が単独で執持するようになる。もし二人の業縁が良くなく、意根が拒絶反応を示すと、二つの如来蔵はうまく協調して引き継ぎを行わず、移植は成功しない。

——生如法師の開示
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如来蔵による胎生と根身器界の執持(一)

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