衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月24日    火曜日     第1開示 合計408開示

声塵の種類

『瑜伽師地論』の第一巻では、声塵(音声)を多くの種類に分け、自らの如来蔵が執持するか否かによって三種に分類しています。第一種は、自らの如来蔵が単独で執持する音声であり、因執受大種声(いんしゅじゅだいしゅせい)と呼ばれます。例えば、自身の話し声、咳の音、呼吸音、内臓器官から発せられる音などがこれに当たります。第二種は、因執受と不執受大種声(いんしゅじゅふしゅじゅだいしゅせい)であり、例えば自らの身体が外界の物質と接触する際に摩擦によって生じる音声です。歩く音、物を取る音、衣服を着る音、身体と物質が衝突する音などがこれに該当し、自らの如来蔵と外界の物質が作用して発せられる音声です。第三種は、因不執受大種声(いんふしゅじゅだいしゅせい)であり、この音声は自らの如来蔵が単独で執持し制御するものではないことを意味します。例えば宇宙の天籟の音、風雨の音、雷鳴、大海や河川の流れる音、各種機械の音などがこれに当たり、これは共業の衆生の如来蔵が共同で執持するものです。

音声の内包する意味はさらに多く、音声の属性も数多く存在し、音声の帰属は区分が難しく、非常に複雑です。これらは全て如来蔵の作用であり、その極めて大多数は共業の衆生のすべての如来蔵が共同で執持し作用した結果です。そして、これらは全て地水火風の四大の生滅変化によって生じ出されたものです。至る所に如来蔵の機能作用が存在し、五陰自体の真実の作用など全く存在しません。故に全体が即ち真如なのです。如何なる者も、どのような事物、どのような法が、如来蔵の七大種子の機能作用でないものを見出すことはできません。全ては如来蔵の作用であり、その功績は全て如来蔵に帰するべきものです。七識心(末那識)すらもなお如来蔵に依存して広く衆業を造り出します。如来蔵は何も考えずに、あらゆることを管理し、決して分別することもなく、拒絶することもありません。求めれば必ず応じます。これを「千の場所で祈れば千の場所で応じる(千処祈求千処応)」と言い、事ある場所にはどこへでも赴き、また「来もせず去りもせず(不来不去)」とも呼ばれるのです。

——生如法師の開示
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如来蔵の可知の執受と不可知の執受

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感応の原理

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