気は心気と物質的な四大からなる身気を含みます。心気は意根の気息を体現するものであり、意根の心所法です。例えば、傲慢な心、心気満々、気宇軒昂(威風堂々とした様子)、意気軒高(意気込みが盛んな様子)、骨気、志気、傲気などが挙げられます。身気には腎気、肺気、胃気、脾気、肝気、心気が含まれ、五臓六腑すべてに気が存在し、さらには全身の経絡にも気が巡っています。気は血を運ぶことができ、これを血気と呼びます。身体はこの血気によって滋養され営まれています。一旦、血気の供給が滞ると、六識は活動を維持する力を失い、五陰の活動は減退します。あるいは血気の運行が乱れると、六識も乱れ、時に狂気に至ることもあります。
心気は身気を牽引し影響を与え、身気は心気を高め影響を及ぼします。両者は互いに影響し合い、禅定に対しても大きな影響を及ぼします。心気が平穏でなければ禅定は起こらず、身気が調和していなければ禅定は現れません。そのため、心気と身気を調理する必要があります。心気の調理は、第一に道理によるもの(理屈を説き、心気を平穏で安定させること)、第二に身体の素質が良く気血が円滑であることによります。これによって初めて禅定が現れます。身気の調理は、第一に必要な四大の養分を十分に供給すること、第二に呼吸と運動を調整すること、第三に心気と意念による調理(心気が平穏であれば身気も次第に平穏になる、これを心平気和と呼びます)によります。もし身気が乱れ不足すれば、心気も乱れ不足し、両者は相互に補い合っています。
心気と身気のほかに、業障気というものがあります。いわゆる業障気とは、過去世における業行の勢力、あるいは業の慣性と力そのものです。これは最も調理と克服が難しく、多くの場合、受動的に受け入れるほかありません。もし一個人の覚悟性が比較的強く、自身の業障の所在や不良な習性に気づけば、それを捻じ曲げ克服する方法を考えます。第一に懺悔の方法によって業障を懺悔し除くこと、第二に誓願を発する方法によって業障を押しのけること、第三に新たな良い習慣を養成することです。
36
+1