衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年05月23日    日曜日     第2 回の開示 合計3410回の開示

「気とは何でしょうか」

気は心の気と物質的な四大から成る身の気を含みます。心の気は意根の息遣いを体現するもので、意根に属する心所法であり、例えば高慢な心、充実した気力、威風堂々たる気概、意気盛んな様子、骨気、志気、傲気などがこれに当たります。身の気には腎気、肺気、胃気、脾気、肝気、心気があり、五臓六腑全てに気が存在し、さらには全身の経絡にも気が巡っています。気は血を巡らせる力を持ち、これを血気と呼び、身体はこの血気によって滋養され活動を維持しています。一旦血気の供給が滞ると六識の活動が弱まり、五陰の作用が衰退します。あるいは血気の流れが乱れると六識も乱れ、時に狂気を生じることもあります。

心の気は身の気を牽引し影響を与え、身の気は心の気を高め影響を及ぼします。両者は相互に作用し合い、禅定に対しても大きな影響を及ぼします。心の気が平穏でなければ禅定は起こらず、身の気が調和しなければ禅定は現れません。従って心の気と身の気を調和させる必要があります。心の気を調和させるには、第一に理屈を理解し心の気を平穏安定させ、第二に身体の素質を向上させ気血の流れを円滑にすることが必要で、そうして初めて禅定が現れます。身の気を調和させるには、第一に四大要素の必要十分な養分を供給し、第二に呼吸と運動を調整し、第三に心の気と意念による調和を図ります。心の気が平穏であれば身の気も次第に和らぎ、これを心平気和と呼びます。もし身の気が乱れ不足すれば、心の気も同様に乱れ不足し、両者は相互に補完し合う関係にあります。

心の気と身の気の他に、業障の気が存在します。いわゆる業障の気とは過去世における業行の勢い、つまり業の慣性力とでも言うべきもので、これが最も調整困難で克服し難い存在です。多くの場合ただ受動的に受け入れるしかありません。もし人が強い覚り性を持ち、自らの業障の所在や不良なる習性を発見したならば、これを転換し克服する方法を模索します。第一に懺悔の方法により業障を浄化し、第二に誓願を発して業障を圧倒し、第三に新たなる良き習慣を育成する必要があります。

——生如法師の開示
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