一切の法は如来蔵の執持作用を離れません。例えば、外の風が吹き、木が揺れ動くのは、実はすべて如来蔵が作用しているのです。しかもそれは一人の如来蔵が働いているのではなく、共業の衆生の如来蔵が共同で作用した結果です。ですから、風が木を揺らしているのではありません。風そのものは実体がなく、自主性のないもので、如来蔵によって生み出された法であり、したがって自ら能動的に木を揺らす機能はなく、如来蔵が風という縁を借りて作用を起こし、木を揺らしているのです。風が吹くという現象そのものも、共業の衆生の如来蔵が共同で作り出したものです。
また、例えば私たちが着ている衣服が古くなり、破れ、消滅するのも、ここにはすべて如来蔵が作用しています。衣服自体が自ら壊れたり、摩耗したり、破損したり、消滅したりできるのではなく、すべて如来蔵が四大の種子を運用して起こす作用です。如来蔵の外に逃れられる法は一つもありません。例えば、自宅のソファが徐々に古びて、摩耗し、やがて壊れるのも、ここにはすべて如来蔵の働きがあります。ソファ自体が生じることも、自ら滅することも、自ら傷むことも、自ら摩耗することもできず、すべて如来蔵の執持作用の結果なのです。
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