衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月25日    水曜日     第3 回の開示 合計413回の開示

如来蔵による胚胎と根身世界の執持(三)

一切の法は如来蔵である。表面的な現象から見れば、あたかもこの法が彼の法を生じたかのように見えるが、実際にはすべて如来蔵が一定の縁を借りて生じたものである。外界のすべての現象は表面的で幻のような現象であり、実質は全て如来蔵の機能である。例えば十二因縁において、無明が行を縁とする場合、無明が本当に身口意の行を生じるのであろうか。無明には実体がなく、単なる概念であり、仮の名詞に過ぎない。それは識心ではなく、種子も持たないから、当然いかなる法も生じることはできない。実際には衆生に無明があるが故に身口意の行が生じ、その後に行が識を縁とするのである。

身口意の行は誰が生じるのであろうか。それは如来蔵が一定の外縁を借り、衆生の無明と相まって初めて身口意が生じ存在するのである。身口意の行が六識を生じるのであろうか。決してそうではない。衆生が身口意の行を持つが故に六識が絶えず現行して作用するのであり、六識を生じたのは誰かといえば、もちろん如来蔵である。身口意の行ではなく、なぜなら身口意の行には実体も種子もなく、いかなる法も生じることはできない。実質的には根塵の縁があることにより、如来蔵が六識を生じるのである。十二因縁の法は鎖のように次々と連なり、前の鎖が縁となり、次の鎖が生じる因は全て如来蔵に帰する。

三界世間のいかなる法も、如来蔵が執持しなければ壊滅し消滅し、存在し続けることができない。我々が触れることもできなくなる。如来蔵がなければ、まず我々自身が存在せず、ましてや三界世間などあり得ない。世間のあらゆる法は如来蔵によって執持され、外界の現象は縁であり、内面の実質は全て如来蔵である。

一切の法の生住異滅、地球の壊滅も、全て如来蔵がその中で作用している。如来蔵を離れて自性を持ち、独立して存在し得る法はない。表面的な現象が真実のように見え、独立して存在し、自生自滅できるかのように思えても、実際はそうではない。全て如来蔵の執持作用によるのである。地球が自ら生滅しているように見え、家の窓や椅子、腰掛けなどが自ら徐々に変異し最終的に壊滅するように見えても、実際にはそのようなことはない。如来蔵が四大の種子を輸送して生住異滅を生じさせることにより、あの表面的な現象が現れるのである。

——生如法師の開示
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