また例えば私たちの手は、切断された直後には、私たちの如来蔵が執持し続けています。すぐに接続すれば、つなげることができ、その後も引き続き働き続けます。身体の中の器官も、切り離された直後には、如来蔵がしばらくの間直接執持し続けます。この期間内にすぐ手術で接続すれば、回復して身体の一部となり、元の機能を果たすことができます。しかし時間が経つと、如来蔵は身体から切り離された器官を直接執持しなくなり、再び色身と接続しても、つながらず、それはただの無用の物となってしまいます。それゆえ、一切の法はすべて如来蔵がその中で働いているのです。
私たちの身体の中の器官を摘出して他人に移植し、他人の身体の中へ移されたとき、私たちの如来蔵はしばらくの間執持し続け、その後、他人の如来蔵が引き継いで単独で執持するようになり、私たちの如来蔵はもう関与しなくなり、他人の如来蔵によって単独で執持・働くことになります。身体の中の器官は、切り取られてから時間が長く経つと、如来蔵はもはや執持せず、私たちの身体にとって役に立たなくなり、再び私たちの身体の中に接続しても、つながらず、機能や働きを回復することができず、それはもう私たちの身体の一部ではなくなります。あるいは他の衆生の身体に移植されても、生命力はなく、相応する機能や働きももはやありません。
また例えば、私たちの血管が破れて出血したとき、流れ出たばかりの血は熱くあります。なぜ熱いのでしょうか。それは如来蔵の執持があるからです。時間が経つと、血は熱くなくなります。それは如来蔵の直接の執持の働きがなくなったからです。身体から落ちたものは、一本の指であれ、一節の肢体であれ、皮膚であれ、落ちた直後はみな熱くあります。なぜ熱いのでしょうか。如来蔵が執持しているので、温度があるのです。時間が経つと、如来蔵はそれを直接執持しなくなり、冷えて硬くなります。
身体が柔らかいのも同じで、すべて如来蔵が直接執持しているからこそ柔らかいのです。死人の身体はみな硬くごわごわしています。なぜでしょうか。如来蔵がもはや直接執持せず、自ら縁しなくなるから、その身体は硬くなるのです。如来蔵があれば、衆生の色体には寿(寿命)があり、暖(温度)があり、識(七つの識)があり、身体は温かく柔らかいのです。もし如来蔵がなければ、衆生の身体には寿命がなく、温度がなく、七つの識もなく、身体は冷たく硬いものとなります。
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