衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年05月21日    金曜日     第1開示 合計3405開示

四禅定における色身は何によって維持されるか

四禅定を修得した際、身体にはどのような現象が現れるのでしょうか。本来、我々は口と鼻で呼吸していますが、この時点で呼吸が停止します。呼吸が停止するだけでなく、心臓の鼓動も脈拍も停止し、気血の巡りという現象も全て停止します。心臓と脈拍はどのような役割を果たしているのでしょうか。心臓の収縮と拡張に伴い、血液が全身に送り出され、身体を滋養する働きを担っています。身体が正常に機能するためには気と血が必要であり、気が血を巡らせて全身を循環させます。血は栄養そのものであり、我々の身体という機械に必要な燃料です。燃料がなければ機械は動きません。一般的に、身体という機械の稼働が速ければ速いほど、より多くの栄養を必要とし、より多くの気血を必要とします。これには心臓の機能がより健全であることが求められ、そうして初めて身体の正常な機能が保たれます。これらの気血こそが身体に必要な四大であり、四大によって構成されているのです。

禅定が深まると、身体の活動は遅くなり、内臓が消費する栄養は少なくなり、必要な気血もそれほど多くはなくなります。身体が最低限の栄養消費で済み、新陳代謝が緩慢になり、四大の栄養をそれほど必要としなくなった時点で、呼吸は停止し、心臓の鼓動も脈拍も停止します。しかしこの時点でも、生命体の存在と活動を維持するために少量の気血は必要であり、ただ呼吸や飲食といった粗大な四大の栄養に頼らず、身体の毛穴が周囲の空気中の四大の微粒子を吸収するだけで十分となります。身体中の老廃物も毛穴を通じて排出されます。もし入定した者が密閉された容器の中に置かれた場合、空気中の四大の供給が不足するため窒息死してしまうでしょう。
色身(肉体)もまた四大で構成されており、色身と周囲の環境は互いに融和し交流し、影響を与え合っています。物質同士も互いに四大の微粒子を伝達できるため、物質の四大は絶えず外へ発散しており、互いに熏染性(相互に影響を及ぼし合う性質)を持っています。つまり、外界の物質は身体の一つ一つの細胞を通じてこれらの物質微粒子を輸送し、吸収されて身体の一部となり、同時に身体中の物質も外へ四大の微粒子を発信しています。この入力と出力が均衡状態に達すれば、身体は正常に機能します。色身は外界の四大の栄養を吸収して身体の活動を維持できるため、外界の物質環境は色身に影響を与えます。同様に身体の四大も外へ発信されるため、身体も外界の物質環境に影響を与えます。すると衆生の身体同士にも一定の繋がりが生じ、互いに影響を与え合います。この現象を仮に共業と呼びましょう。

欲界の衆生が四禅定に入ると、身体は周囲の環境に依存して滋養されます。色界の衆生も禅定中は微細な四大による滋養を必要としますが、無色界の衆生には色身が存在しないため、物質的な四大の滋養は必要ありません。禅定がない状態では、身体が消費する四大の栄養は非常に多く、身体活動や思考活動が多ければ多いほど、消費する四大も多くなり、必要な気血も増えます。妄念が多い人は消費する気血も多く、他人よりも多くの飲食を必要とします。妄念が少ない人は消費も少なく、身体活動が少ない人も消費は少ないのです。

我々は色身を一つの機械と見なすべきであり、実際にそれは機械そのものです。この機械の稼働には栄養の消費が必要で、正常に機能させるには十分な栄養を補給しなければなりません。機械の稼働が速ければ速いほど、仕事量が大きければ大きいほど、必要な栄養も増え、必要なエネルギーも大きくなります。人間が必要とするエネルギーは飲食から、物質的生活環境から得られます。機械が稼働するには潤滑油が必要です。この機械を長持ちさせたいならば、その稼働を減らし、仕事量を減らす必要があります。機械が稼働すると摩耗が生じ、機械そのものが消耗するからです。稼働が多ければ多いほど、損耗も大きく、機械は次第に古くなり、様々な機能は衰えます。人間も同様で、活動量が過剰になればなるほど、人体という機械の摩耗は大きくなり、寿命は短くなります。

禅定中の人は妄念が非常に少なく、あるいは全く妄念がなく、身体も活動しません。彼らが必要とする栄養は少なく、内臓の活動も少ないため、摩耗も少ないのです。禅定を得た人は概して色身が健康で、かつ長寿です。現代人はこれを理解せず、良い生活、美味しい食事、楽しい遊びを求め、飲食を享受することにこだわります。しかし、食べれば食べるほど、栄養価の高いものを摂取すればするほど、身体の内臓の仕事量はより大きくなり、摩耗も激しくなり、身体はますます不調になり、長寿になりにくいということを知りません。ですから、食べ過ぎたり、高栄養のものを摂取したりすると、内臓は消化吸収が非常に困難で、必要な仕事量が非常に大きくなるため、内臓の消耗も大きく、長寿にはつながりにくいのです。長寿を望むならば、身体の摩耗を減らし、仕事量を減らし、運動量を減らし、さらに禅定を多く修して妄想を減らす必要があります。

禅定は心を静めることができ、身心の活動量が少なくなるため、摩耗も少なくなり、寿命は長くなります。四禅定を修得した後は、寿命の長さは自分自身で決定できます。もし早めに寿命を終えて他の世界、例えば天界へ行きたいならば、自分自身で決めることができます。もし早めに寿命を終えたくない、あるいは千年、万年と生きたい場合も、自分自身で決めることができます。なぜなら四禅定には神通力があり、身体の去就を自由に決められるからです。生死の時期は自分自身で決めることができます。しかし、まだ完全に自在とは言えません。なぜなら我見が断たれていないため、六道輪廻から出られないからです。ただ、この世の生死はあなたの言う通りになります。四禅定がなければ、この世における生死は不自由であり、自殺しない限り早めに寿命を終えることはできず、一年、半年、一日、一時間でも長く生きたいと思っても、あなたの思い通りにはなりません。

身体は我々が修行するための一つの道具に過ぎません。客観的な視点でそれを捉え、うまく調整し、それに執着せず、私や私のものと見なさなければ、身体をうまく利用して道を修めることができ、少なくとも身体が重荷となり、我々を生死輪廻に引きずり込む負担となることを防げるのです。

——生如法師の開示
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