四禅定を修得した時、身体にはどのような現象が現れるのでしょうか。元来私たちが口鼻で行っていた呼吸が停止するだけでなく、心臓の鼓動や脈拍も止まり、気血の巡りも完全に停止します。心臓と脈拍はどのような役割を果たしているのでしょうか。心臓の収縮運動によって血液が全身に送り出され、身体を滋養しています。身体が正常に機能するためには気と血が必要であり、気が血を循環させて全身を巡らせます。血は栄養そのものであり、身体という機械を動かす燃料です。燃料がなければ機械は動きません。通常、身体の活動が活発であればあるほど、より多くの養分と気血を必要とし、それに応じて心臓の機能も強化されなければなりません。これら気血こそが身体を構成する四大要素であり、四大によって形成されているのです。
深い禅定に入ると、身体の活動が緩慢になり、内臓の養分消費量が減少し、必要とする気血も少なくなります。身体が最低限の養分消費で代謝が緩やかになり、四大要素を多く必要としなくなると、呼吸が停止し心臓の鼓動も止まります。ただしこの状態でも生命維持のため微量の気血は必要であり、呼吸や飲食といった粗大な四大要素に頼らず、身体の毛孔から周囲の空気中に存在する四大微粒子を吸収すれば十分です。体内の老廃物も毛孔を通じて排出されます。もし禅定中の人間を密閉容器に入れると、空気中の四大要素が供給されず窒息死してしまうでしょう。
色身も四大要素で構成されており、周囲の環境と相互に融通し合い影響を与えます。物質間でも四大微粒子を相互に伝達し合うため、物質の四大は絶えず拡散し合い、互いに熏染性を持っています。つまり外界の物質は身体の各細胞を通じて微粒子を送り込み、体内物質として吸収されると同時に、身体の物質も外界へ四大微粒子を放出します。この入出力が均衡状態を保つことで身体は正常に機能します。色身は外界の四大要素を吸収して活動を維持し、外界の物質環境は色身に影響を与えます。同様に身体の四大も外界に放出され、身体は外界の物質環境に影響を及ぼします。このように衆生の身体同士は相互に連関し影響し合い、この現象を仮に共業と呼ぶことができます。
欲界の衆生が四禅定に入ると、身体は周囲の環境に依存して滋養されます。色界の衆生は禅定中でも微細な四大要素を必要としますが、無色界の衆生には色身が存在しないため物質的な四大要素は不要です。禅定に入っていない状態では、身体は大量の四大要素を消費します。身体活動や思考が活発であればあるほど四大要素の消費量が増え、気血を多く必要とします。妄念の多い人は気血を多く消費するため食事量も増え、妄念が少ない人や身体活動が少ない人は消費量も少なくなります。
私たちは色身を一つの機械として捉えるべきです。実際それは機械そのものであり、その稼働には養分の消費が必要です。正常に機能させるためには充分な養分を補給しなければなりません。機械の稼働が速ければ速いほど、作業量が増え、より多くの養分とエネルギーを必要とします。人間が必要とするエネルギーは飲食や物質環境から得られ、機械が潤滑油を必要とするのと同じです。この機械を長持ちさせたいならば、その稼働を減らし作業量を制限しなければなりません。機械の稼働には摩耗が伴い、使用頻度が高ければ高いほど消耗が激しく、次第に旧式化し機能が衰退します。人間も同様に、過度な活動は身体という機械を摩耗させ、寿命を短縮させるのです。
禅定中の人間は妄念が極めて少なく、あるいは全く妄念がなく、身体も活動しないため、必要な養分が少なく内臓の活動も低下します。これにより摩耗が減少し、禅定を修めた者は一般的に色身が健康で長寿です。現代人はこの理を理解せず、美食や享楽を追求しますが、食べれば食べるほど高栄養を摂取すればするほど、内臓の負担が増大し摩耗が激化し、かえって健康を損ない長寿を妨げることを知りません。高栄養の過剰摂取は消化吸収に多大な負担をかけ、内臓を消耗させ長寿を遠ざけます。長寿を望むならば身体の摩耗を減らし、活動量を抑制し、さらに禅定を修めて妄念を減少させるべきです。
禅定は心を静め、身心の活動量を減らし摩耗を抑えることで長寿を実現します。四禅定を修得すれば寿命の長短を自ら決定できるようになります。天界など他界へ移りたければ寿命を早めに捨てることも、あるいは千年万年と生き続けることも自由に選択可能です。四禅定には神通力が備わり、身体の存続を自在に制御できるためです。ただし我見が断たれていないため六道輪廻からは解脱できず、あくまで現世の生死を自ら掌握できるに留まります。四禅定を得ていない者は現世の生死を自在にできず、自殺以外に寿命を早める術がなく、一刻でも寿命を延ばすことは叶いません。
身体は修行のための道具に過ぎません。客観的に観察し整えつつ、執着せず我や我所と見做さなければ、これを活用して道を修めることができます。最低限、身体が生死輪廻を繰り返す重荷とならぬよう、適切に扱うべきです。
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