楞厳咒には加持力があり、咒文の中には諸仏・菩薩・辟支仏・阿羅漢・護法神の名号が含まれ、念仏を唱えるのと同等か、あるいは単純な念仏以上の効力を持つ。これは護法神が具体的に護持し執行するためである。具体的には、咒を唱える者の戒定慧の修行を加持し、一部の業障を遮断・消滅させ、大きな抵抗不能な業障が身に付き難くし、修行を円滑に進めさせる。知らぬ間に戒律が清浄となり、禅定が向上し、智慧が増長し、心が清浄となる。咒を唱える際に集中すればするほど効力が増し、心が誠実であればあるほど効果が大きい。集中できない場合、歩行坐臥の動作中に咒を唱えて心が散漫になり専一できない状態でも、心が誠実であれば依然として大きな加持力がある。散心で咒を唱えても加持力は存在し、心と口で咒を唱える限り護持を得られる。
修行が順調でなく心が散乱する場合、計画的に毎日歩行坐臥において楞厳咒を誦すべきである。仏道を学び始める者は皆、一定数の楞厳咒を誦し、修行が順風満帆の如く進むに至って初めて止めることができる。これは諸仏菩薩の四聖と護法神の加持力に依拠する作用であり、その後自らの心力が生起し、自力と他力が相俟って初めて修行が正道に乗る。加持力は自らの心性を変化させ、心性が変化すれば性障は消滅する。また過去の業行の種子による障礙については、大きな業障は護法神が遮止し、小さな業障は自らが少々の業報を受けるに過ぎず、それは避けられない当然の報いである。大きな業障は将来承受可能な時期に至れば、もはや苦に感じず、あるいは大きく減衰している。心が空であるほど、業報に対する耐性が強まり、坦然と受け入れ、責任を引き受け、業債を返済することが当然と悟るのである。
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