衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年05月17日    月曜日     第1 回の開示 合計3400回の開示

観行の入手法

問:観無量寿経の日想観の方法を用いて白骨観を修習することは可能でしょうか? 

答:日想観と白骨観の修習方法は同じで、難易度もさほど変わらず、特に難しいものではありません。あらゆる観想による証得の方法はほぼ同様です。日想観に続く地想観や水想観の方が難しく、日想観自体はさほど困難ではありませんが、観想そのものは容易ではなく、1年や2年を要します。2年間観想を続けても成就したという話は聞かず、現在では中途で放棄する者が多いようです。真の修行は容易ではなく、いかなる三昧を証得するのも困難です。修行を放棄して生死の流転に身を任せれば、かえって苦悩が深まります。相対的に見れば、修行しないより修行した方が幾らか容易で、より楽しいと言えます。修行の容易さは本人次第で、全ては人の為すことにかかっています。容易く挫折する者は意志力が弱く、修行において何ら体験を得られず、前途が漠然として見えるものです。世間法においても忍耐強くない者が、仏法の修証においても同様に容易く中途放棄する傾向があります。 

白骨観は数年を要し、早くて2~3年で成就しますが、これは根器によります。娑婆世界において優れた根器を持つ者は極めて稀です。観像念仏の法門における観想も、用功の方法はほぼ同様です。方法が似通っていても、現れる三昧は異なり、観想対象によって証得するものが変わります。小乗の観行は空を証し、大乗の観行は大乗の果を証します。大乗観行は出発点が高く、小乗の観行の基礎が必要です。日想観が成就しても、直ちに証果や明心に関係はありませんが、禅定力は非常に優れており、この禅定力をもって他の法を観行すれば、速やかに成就します。 

観無量寿経の十六観は第七観に至って初めて明心できますが、前半の観想では明心できません。ただし三昧の境界が現れれば、命終時に極楽往生が保証されます。白骨観の成就は我見を断ち、初果から四果までの証得をもたらします。観像念仏の観想が成就すれば、単なる明心を超え、初地に達する可能性もあります。これは各人の智慧の証量と禅定の証量、諸条件を総合的に判断する必要があります。観行の着手方法に大きな差異はありません。

——生如法師の開示
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