衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月03日    木曜日     第1 回の開示 合計435回の開示

仏の説かれた道に従って修行してこそ成就できる

問:現在多くの人々が空について論じたり有について高談闊論したりしています。空は一種の境地であり、明心開悟した後に初めて体得できるものです。しかし私は、悟りを開く前には、やはり第六意識を使って絶えず仏法を思惟し、六波羅蜜を修行し、継続的に第七識を薫習調伏させる必要があると考えています。凡夫の段階では空を証得する能力がなく、ただ他人から空という言葉を聞いて自分の妄心で推測するだけでは、何の役に立つのでしょうか。

答:凡夫の段階では一切の境地に対して推測と妄想しかできず、さらに見取見が断たれていないため、自分が推測した知見を正しいと執着し、他人の意見を否定して互いに論争します。見取見が深刻な者は道を障礙し、我見を断つことができません。

一般人が論じる空は往々にして、自分の妄心を空じようとするだけのもので、様々な境地に直面した時に心の念を断ち切ろうとし、座禅で定を修めて心中に念想が無い状態を求め、それで空を得たと思い込んでいます。如来蔵の本来備わる空を全く体得できず、他人が如来蔵の空を説いても、実際に証得していないため理解できません。このような空の修行方法では、どう修めても空に達することはできず、まるで「放下」を叫び続ける者が一生修行しても何も放下できず、臨終に業に引かれて三悪道に堕ちるようなものです。修行の方法は必ず仏が示した道筋に従い、四聖諦の理と四念処観に基づいて小乗の空を修め、我見を断って初めて放下でき、仏が説いた大乗の理に従って初めて如来蔵の本来の空を証得できるのです。

これらの現象は衆生の修行過程における一つの段階に過ぎず、福徳が具わればすぐに乗り越えられます。大智慧には大福徳が基盤として必要です。福薄く障礙の重い者は、様々な誤った知見の束縛から脱することができません。昔、禅師が世を去る際に後継の弟子を選ぼうとし、弟子の智慧の境地を試す問題を出しました。弟子が自分の知見を述べると、禅師は「汝は福薄く、吾が宗を継ぐに足らず」と言いました。これは福徳が薄く智慧が不足しているため、禅宗の法脈を継承できないという意味です。この福徳は世間法の福だけでなく、出世間法の福、すなわち戒定慧において修した大福徳をも含みます。故に般若空性を証得するには必ず福徳が必要であり、菩薩の六波羅蜜をすべて修めなければならないのです。

——生如法師の開示
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