心の解脱とは、心に煩悩の束縛がなく、煩悩がなければ苦もなく、苦がなければ心は解脱する。苦には身の苦と心の苦があり、身の苦は苦とはならず、心の苦こそ真の苦である。心が苦しまなければ、すなわち解脱である。同様に身に苦があっても、その身の苦を苦と思わなければ心は苦しまず解脱し、もし身の苦を真の苦と感じれば心は苦しみ解脱できない。自ら進んで身の苦を受け入れ、それを苦とも思わないか、あるいは何らかの意義があると認めれば、心は苦しまず、むしろ楽しみさえ生じる。もし強制的に身の苦を強いられれば、心も苦しむ。苦と苦でないかは身ではなく心にあり、心が苦をどう認識するかにかかっている。心が苦を気にすれば苦しみ、気にしなければ苦はない。苦にあって苦なきは心の解脱であり、苦を苦とするは束縛である。
阿羅漢は毎日鉢を托して家々を乞食しても苦に感じず、凡夫は一食作るだけで不平を言う。富楼那は乞食で牛の糞を得ても苦に思わず、心は解脱している。富人は毎日山海の珍味を食べても心楽しまず、煩悩の束縛は甚だしい。苦楽が人によって異なるならば、苦楽に定まった法はない。定まった法がなければ、それは虚妄であり、無常であり、空である。すなわち苦楽は無我である。
2
+1