衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年05月06日    日曜日     第8 回の開示 合計446回の開示

縁起性空は仏法の中心と重点にあらず

世尊が小乗の解脱道における修証の経典である阿含経で説かれた十二因縁は、声聞・縁覚が修する法であり、大乗如来蔵の法の修行には関わらず、直接成仏する法ではない。故にこれを究竟の法と見做してはならない。仏法を学ぶ者は、仏法が一切法空を説くものと誤解すべきではない。一切の空法の中に、空ならざる法が存在する。それが不生不滅の真実心である如来蔵である。如来蔵がなければ、万法は縁起する因縁を得られない。声聞・縁覚が十二因縁の法を修し終えれば、縁起性空を証得する。五陰世間の一切の法が因縁によって生じ、如来蔵という因と無明業種などの縁に依存して、一切の法が生起することを知るのである。

万法が様々な縁に依存し、かつ如来蔵から生じたものであるならば、万法は真実ではなく空であり、幻化した仮相である。これによって二乗の修行者は解脱を得て、生死輪廻の苦から出離することができる。しかし彼らはまだ大乗法を修証しておらず、如来蔵における成仏の法を理解していない。三乗の仏法のうち二乗のみを修証し、最上乗の法を知らないまま三界を出離してしまう。彼らには無始無明と塵沙無明が未だ破られておらず、まして断尽されていない。無明習気や煩悩随眠も断たれていない。故に彼らは仏とは依然として甚だ遠いのである。

では仏陀が成道時に悟られたものは、縁起性空という二乗の法ではあり得ず、必ず最上乗の如来蔵の法であったに違いない。仏陀が夜明星を観じて仏性を眼見された時、真実の仏性を見られたのである。これは仏地における見性の法であり、その後大円鏡智が現前し、四智が円明となって初めて成仏される。世人が誤解するような縁起性空という浅薄な二乗の法とは本質的に隔絶している。

もし仏陀が単に縁起性空という二乗の法を悟られただけならば、衆生に大乗の真実である如来蔵の成仏法を教えることができず、仏法は不完全となり、甚大な欠陥を抱えることになる。そうなれば衆生は真実の最大究竟の利益を得ることができない。現在の衆生は仏法を誤解しすぎており、知見も甚だ浅薄である。皆縁起性空を仏法の中心と重点と見做し、万法の根源と結びつけることができず、万法の由来を知らず、世界の本源を知らない。これこそが現代仏法の弊害なのである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

受蘊への執着の過患

次の記事 次の記事

衆生は何を貪愛しているのか

ページのトップへ戻る