海外で開発されたカップがあります。特定の周波数の電磁波で口と舌を刺激すると、実際に水がなくても電磁波だけで、水を飲んだという錯覚が生じます。電磁波の刺激を受けた後、人は喉の渇きを感じなくなります。
実際の原理は、電磁波が浮塵根の口腔に伝わり、浮塵根の舌に到達し、神経系を経由して後頭部の勝義根に伝達されることで水の影像が形成されます。舌根と接触することで身識・舌識・意識が生じ、識心が水の影像に触れます。受想の後に思惟が働き、飲むと決定し、受覚が生じて水を飲んだと錯覚します。こうして満足感を得て渇きが癒えるのです。飲食や一切の法がいかに虚妄で自欺的か、それに貪愛する我々の愚かさと憐れさを考えてみましょう。
衆生は実際に自らを欺き、虚妄の感覚世界に生きています。暗闇で豚肉を渡され、人間の肌と錯覚すれば特別な感覚が生じて貪愛が起こります。しかし豚肉と認識すれば嫌悪感を抱きます。一切の法はただ自心の覚受に過ぎず、人は常に自らの覚受に欺かれ、様々な感覚に溺れています。衆生という存在は、考えれば考えるほど憐れに思えます。
人は無始劫以来、四大微粒子の集積体と飲食娯楽を共にしています。衣食住や娯楽に用いるものは全て四大微粒子の集合体です。如来蔵が無数の四大微粒子で玩具を創り出し、衆生はその中で子供のままごと遊びのように熱中し、そこから離れようとしません。
新しいスマートフォン機能では、画面から電磁波を発して手に伝えると、実際に物体に触れた感覚が生じます。
人間の神経伝達システムは光ファイバーのように、内部を電気信号が駆け巡っています。様々な周波数の電磁波で刺激すれば、人は全てを満足できるのです。
貪愛が生じた時、その対象が単なる電磁波=四大微粒子に過ぎないと自覚すべきです。衆生は自らに欺かれ、如来蔵に惑わされながら、無量劫もの間その欺瞞に気付かないほど憐れな存在です。
私が手にしているものは表面的にはスマートフォンですが、実体は粒子の集合体による虚妄の影像です。後頭部には真実のスマートフォンは存在しません。身識と意識の所謂感覚とは何か? 継続的に流れる水流や電流のような識の種子が連続運行する際に生じる虚妄の感覚です。種子が断絶し識心が消滅すれば、感覚作用の主体は消えます。ではその感覚とは何物か? あなたですか?
言葉と行為は別物です。話すのは意識、行動するのは意根で、同一の心ではないためこのような結果になります。禅定の修練がなければ何事も成就できず、空論に終わります。これらの理論は所詮理論に過ぎず、禅定による実証がなければ真実相を認識できず、心も清浄自在に転換されません。
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