修行によって心を転換させる、特に意根を転換させることで、悪業の種子が現前した際に心が悪業に流転せず、悪業は消滅し、残るのは清浄な業の種子となります。修行を通じて心所法が清浄に変化すれば、業を造った後に残るのも清浄な種子です。心が転換して清浄になった後、悪業の種子は一部が消滅し、一部は早期に報いを受けて重罪が軽報となり、報い終われば消滅します。例えば証果を得た時、三悪道の業は消滅し、様々な仏法の修証によって相応する悪業の種子が消滅します。大きな悪業でも軽微な果報を受けることになります。
今生の修行は前世に蓄積された染汚の種子にも影響を及ぼします。そうでなければ修行は無意味となります。無量劫の生死の業種は無量無辺であり、修行が前世の業種を変えられなければ、無量無辺の生死を引き受け続け、いつ果てるときがあって成仏できましょうか。
修行は生死の衆流を断ち切り、悪業の種子がなければ生死の流れもなくなります。なぜ生死が流転するのか。無明があり、業行があるからです。なぜ悪報があるのか。悪業があるからです。悪報とは何か。三界の生死、六道輪廻です。無明によって造作された悪業があるから六道輪廻、特に三悪道の生死輪廻が存在します。三悪道の生死苦受を滅除するには、修行によって心の無明を滅除することです。例えば証果を得た時、明心した時、初地に入った時に、無明の一部が滅除され、三悪道の業が消滅し、再び三悪道で苦を受けることはなくなります。
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