信解行証には意識の次元と意根の次元があり、究竟的に決定的な主宰作用を及ぼすのは意根次元の信解行証である。
意識のみが信じても、意根が行動を起こせなければ精進修行できず、仏法を証得することはできない。意根が信じてこそ真実の信となり、意根が信じなければ真実の修行は始まらない。
深とは意根を指し、浅とは意識を指す。切とは意根を指し、切でないとは意識を指す。例えば意根が極楽浄土を深く信じ切願してこそ、極楽浄土に往生できる。ただ意識で極楽浄土の存在を信じても、意根が信じなければ往生できず、往生するか否かは意根が主宰する。
故に、信には深浅の次元があり、願には強弱の次元がある。主宰できるものにこそ力度があり、主宰できないものには力度がないのである。
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