衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月06日    日曜日     第1開示 合計439開示

修行の四つの次第

信解行証は、修行の四つの段階である。信は解に等しくなく、解は行に等しくなく、行は証に等しくない。あるいは証は行に等しくないとも言える。例えば、我見を断つことは証であるが、煩悩が同時に消えるわけではない。我執が断たれていなければ、行が具足していないことになる。また、我見を断った後でも、まだ証得していない法があるため、煩悩と我執を同時に断ち切ることはできないとも言える。

例えば、明心は如来蔵阿頼耶識を証得することであるが、煩悩は断たれておらず、習気も断たれていないため、行が力を得ず、具足していない。また、ある法がまだ証得されていないため、行が具足せず、後の那些の法をすべて証得すれば、行が具足し完善される。明心の後、順次に如幻観、陽炎観、如梦観、如镜像観、如光影観などを証得し、煩悩が消え、習気が徐々に消え、無明が減少し、菩薩の心性が不断增强し、菩薩行が不断に完善される。前の証がなければ、後の行はない。だから、すべての法は証得すれば、行も同時に完成する。これは、証には解脱の功徳受用があり、どの程度の証であっても、相応の解脱の功徳受用があることを示している。初果には初果の功徳受用があり、四果には四果の功徳受用があり、明心には明心の功徳受用があり、各観行菩薩の果位の証得には、それぞれ相応の功徳受用がある。成仏には仏地の功徳受用がある。功徳受用がなければ、証もない。

最後の法も証得すれば、行は完全に具足し、成仏する。だから、修行の次第はやはり信解行証であり、証が最後であり、最終であり、最も究竟である。証得しさえすれば、残りのことは心配する必要がない。なぜなら、家に着いたからであり、休息することができるからである。

——生如法師の開示
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