衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年05月14日    金曜日     第1開示 合計3395開示

観行 (vipaśyanā-caryā)は堅持不懈でこそ水到渠成となる

藍天観呼吸日記:夜に座り、十分間の能動的な深呼吸を行い、深呼吸を終える前に徐々に気感が生まれ、その後は鼻からの吸気と呼気を観じた。四回目の吸気のとき、丹田の気が動き出すのを感じ、腹部の筋肉が不規則に動き始めた。ゆっくりと吸気と呼気を続けるうちに、腹部の筋肉の動きが大きくなり、ある吸気の後に停頓して静止して待っていると、腹部の筋肉が規則的に収縮し始め、それによって腹部がさらに拡張し、同時に胸脇部も外へと広がった。気流は鼻腔から絶えず吸い込まれ、腹部の筋肉が張り詰めるまで続き、呼気のときには自然に吐き出された。こうして深呼吸に入り、念头は引き続き鼻根のところの呼吸に注がれた。十分ほど経ったころ、ある吸気が終わる前に下腹部の筋肉が収縮し始め、気流がまた下方へと衝いていくのを感じ、最底部にまで達したかのようであった。胸腹部はまるで一つの気箱のようで、気流が入っては出ていく。こうした状態が座禅の終わりまで続いた。 

今日の深呼吸の過程では、腹部が以前よりずっと熱く、吸気のときには気体で満たされ、呼気のときには腹腔の筋肉が一つに合わさるのを感じ、腹部は非常に快適であった。その間、妄念はほとんどなく、能動的に何かを考えない限り、他の妄念が頭の中に浮かぶことはなかった。座禅が終わった後も、引き続きベッドの上に座り、ゆっくりと呼吸していた。するとグループで同修がチャットを始め、座禅の感覚について語り合ったが、しばらく話すと話せなくなってしまった。話すと同時に、慣性のために丹田がなお激しく吸気と呼気を続けており、話が途切れ途切れになってしまうからである。そこで休憩することにした。 

評:毎日根気よく観呼吸を続ければ、禅定はますます良くなり、心はますます細やかに専注するようになり、観察もますます細やかになる。そして観察が細やかになるほど心は専注し、禅定が良くなる。これは良性の循環である。しかし功夫が純熟した後は、観察される現象に新しい変化があまりなく、修行があまり進歩していないように感じられ、停滞しているように思われる。このとき分化という現象が現れる。ある人は退屈で意味がないと感じ、次第に厭煩して退堕しようとする心理が生じる。実は、ただ坚持し続ければ、功夫は絶えず向上しており、初期には比較的明らかであるが、後期には単に明らかでないだけである。水の浅いところでは、行ったことはすべて露わに現れるが、水の深いところまで進むと、行ったことはすべて明らかでなくなるのと同じである。 

この理を明らかに理解したなら、この退屈な心理を克服しなければならず、中途半端でやめてはならない。功夫が良くなるほど目立たなくなるのであり、表面的な停滞を気にしてはならない。それはただ一人の忍耐を試す時刻にすぎない。忍耐があり、かつ堅毅不抜の人だけが頂上に登ることができるのである。

——生如法師の開示
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禅定中的観行はなぜ智慧を生み出して解脱を得ることができるのか?

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身心を調えて速やかに観呼吸の状態に入る方法

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