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日常開示

2018年05月08日    火曜日     第4 回の開示 合計457回の開示

『楞伽経』における世尊の十二因縁の法に関するご説法(一)

原文:その時、大慧菩薩摩訶薩は再び世尊に問うて申し上げた。「世尊、外道もまた因縁を説きます。勝自在天や時・微塵より生ずると。かくの如き諸法の生起を。しかるに世尊の説かれる因縁による諸法の言説は、有を説く悉檀と無を説く悉檀とがあります。世尊、外道もまた有無の生を説き、世尊もまた無生を説かれます。生じたものは既に滅するのです」

釈:大慧菩薩が世尊に問うた。世尊、外道も一切の法は因縁生であると説きますが、何によって生じるのか。彼らは勝自在天によって生じると考えます。大梵天王や神あるいは何らかの霊的存在、あるいは虚空の微塵やある種のエネルギーによって生じるとし、後世には老母神によって生じるとするなど、種々の説があります。しかし世尊の説かれる因縁による諸法の生起は、世間的「有」と世間的「無」の範疇に属します。世尊、外道たちも世間の有無を説き、世尊もまた一切の法に生じるものはなく、生じたものは必ず滅すると説かれます。

ここでいう因縁生とは、主に衆生の五陰身が因縁によって生じることを指します。五陰身が存在する故に、世間の一切の法、外的世間法と内的世間法が成立します。外道の説は有の辺に堕するか無の辺に堕し、常見と断見に属し、いずれも正しくありません。世尊の説かれる「無有」とは自性が空であることを指し、生じたものは幻の如く実体がなく、滅するに及んでいます。

原文:世尊の説かれる如く、無明より行が生じ、乃至老死に至る。これは世尊の無因説であり、有因説ではありません。世尊はこのように説き立てられます。「此れ有るが故に彼れ有り」と。漸次的生起を建立せず、外道の説く勝義を観ることは如来の教えではありません。

釈:大慧菩薩は続けて申し上げた。世尊が説かれる十二因縁法について、無明縁行から老死に至る過程を説かれる際、老死の根本因を明示されておらず、十二因縁法の根本因を説かれていません。ただ世間的仮相を論じるにとどまり、真相に触れず、これらの法が生起する根本因に言及されていない。それ故に世尊は「此れ有るが故に彼れ有り」という説を建立され、これらの法が漸次的に自心によって生じることを指摘されていない。外道が説く生起の因を神霊とする見解は、世尊の教えではなく、仏説に符合しません。

——生如法師の開示
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