衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年05月08日    火曜日     第3 回の開示 合計456回の開示

「何故、狐疑は生ずるのか」

意根がある理を一旦認めると、それは常に断固たるものであり、いささかの躊躇もない。意識で思量して得たものは必ず狐疑に満ち、ためらいがちで、揺れ動く。自転車に乗る際、実際に乗りこなせる状態と「乗れる」と思い込んでいる状態は全く異なる心的状態である。前者は毫も躊躇せず、後者は心の底で完全に確信を持てない。ある人々の心に潜む狐疑は、自らその疑いを認識せず、何の疑問もないと思い込んでいるが、これは心が粗雑で、内省する力が弱く、定力が不足しているためである。故に真相を見極められなければ、自らを欺くことになる。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

真実法と虚妄法を弁える仏道修学

次の記事 次の記事

『楞伽経』における世尊の十二因縁の法に関するご説法(一)

ページのトップへ戻る