青空瞑想観行日記
呼吸観察第三十一日、座禅を始める前に自己暗示をかけた:今日の瞑想過程では思考を停止し、思考を減らし、瞑想に関係ない全ての事柄を捨て、心の念を呼吸のみに集中させると。座禅開始後は意識的な腹式深呼吸を採用。今日は意識を下腹部に集中させたところ、徐々に腹部が温まり始め、五分程で気感が生じ、深呼吸が楽になり、下腹部の筋肉が微かに震え、気機が発動しそうな感覚を得た。約十分後、意識的な腹式呼吸を停止。
その後鼻息観察を開始。今日は数日前のように自然呼吸に移行せず、意識で腹式呼吸を徐々に誘導した。数回の呼吸を経て下腹部の気機が発動し、直接深い腹式呼吸に入った。この時、念は呼吸のみに置き、全身の覚受を感知しつつ、分析的思考活動を極力減らした。念が集中したため呼吸は自然に深細化し、呼吸の幅も意識的深呼吸時より大きくなり、気流が胸・上腹・中腹を経て腹底まで達し、座禅終了まで持続。
呼吸観察過程では意念が集中し、所縁が明瞭で、呼吸は均等に深細。座禅中盤、突然右腰外側に極めて明瞭な清涼感を覚え、座禅終了前には右耳に持続的な涼感を感知(右耳はこの二ヶ月間、のぼせによる熱感と腫脹があった)。
評:禅定修習には加行が可能で、意識的に身心の状態を調整し、入定に適した状態へ導けば、心は自然に静寂して禅定に入る。意識的誘導において、心の作意が一つの事柄に集中し、その事柄のみに興味を持ち、他の所縁を遮断すること自体が智慧であり、これ即ち定である。禅定修習過程では智慧を十分に発揮し、智慧をもって定を導き、定慧を結合させれば、入定は極めて迅速に達成される。一部の修行者は禅定を強引に求め智慧を活用せず、結果として入定が困難となる。他方、意識の智慧で分析思考のみに耽り、永遠に禅定に入らない者もいる。この両極端の修習は中道を離れ、三昧を生じさせることはできない。
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