問:念仏によって極楽浄土へ往生する時、肉身が蓮華に座って行くのでしょうか。
答:念仏往生は蓮華の上に座って往生します。この蓮華は自らの如来蔵が意根に随順して変現したもので、微細な四大で構成されています。念仏者が極楽浄土を一心に願い、心が清浄になった後、往生を発願すると、如来蔵は意根の願いに従い、極楽世界の蓮池においてその者の修行の品位に相応しい蓮台を造り出します。この蓮台は四大で構成された極微細な物質であり、私たちの粗重な実質肉身では乗り込むことができず、実体ある肉身は微細な蓮台の色法に触れることができません。
臨終往生の時は中有の身が蓮華に乗って極楽浄土へ往生します。中有の身も実質的な粗重な物質の肉身ではないため、蓮台と相応じ、蓮華の中に入ることができます。蓮台に乗った後、蓮台と中有の身は指弾く間に極楽世界に到着し、中有の身は極楽世界の天人の色身に転換され、蓮の葉に包まれて、色身は自らの如来蔵が変現した蓮華宮殿に住します。中有の身がこれほど速く極楽世界に到着できるのは、極楽世界も自心の如来蔵中の一法であるためです。如来蔵は自心内の如何なる処所にも移動する必要がなく、意根が如来蔵に随順するため、無限の距離を経由せず、指弾く間に如来蔵内の極楽世界へ到着します。実際の速度は指弾く間よりも速く、如来蔵の自心には時間も距離も存在せず、従って速度という概念もありません。
中有の身は極楽世界に到着すると直ちに消滅し、極楽世界の衆生の荘厳なる美しい色身に転換されます。男女の区別なく、極楽世界では永遠に若々しく荘厳で、老いず死なず病まず苦しまない状態となります。中有の身は極めて微細な物質の色身であるため、瞬間的に極楽世界へ漂着できますが、私たちの肉身では不可能です。肉身は極めて粗重な物質であり、漂うことができず、数メートルの空中にも昇れないため、ましてや遥か遠方の極楽世界へ行くことはできません。これこそが肉身を持つ人間に神通力がない理由であり、鬼神や天人、非人たちの色身は微細な物質で構成されているため、神通力を有し、漂い飛翔し、瞬時に他世界へ到着できるのです。
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