衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月12日    土曜日     第1 回の開示 合計474回の開示

想蘊と行蘊の相互作用

問:梅の話を聞いただけで、まだ口にしていないのに酸っぱい唾液が出るのは、どうしてでしょうか。

答:楞厳経で世尊がこの話を説かれたのは、想蘊の境界が虚妄で実体のないことを喩えるためです。想蘊とは、識心の了知性や執着性、また意識の様々な思想や観念などの心理活動を指します。酸梅の話を聞いて酸梅を了知し、続いて心に思いが生じるのは全て想蘊です。口から酸っぱい水が出るのは行蘊です。想蘊が行蘊を生じさせることから、身心が密接に関連し相互に影響し合うことが分かります。身体が識心に影響を与え、識心も身体に影響を与えます。識心の変化と運行が身体に影響を及ぼし、身体の変化を引き起こすのです。

三能変識とは、如来蔵・第七識・六識が和合して一切の法を生じ変えることを指します。梅の話を聞くという現象は三能変識の和合によって生じ、口から酸っぱい水が出る現象もまた三能変識の和合によって生じます。この二つの現象において、如来蔵は同一であり、第七識も同一、第六識も同一です。想蘊にはこの三識の作用があり、行蘊にも三識の作用があります。三識が縁とする法塵も同じであるため、想蘊は行蘊と通じ合い、想蘊が行蘊に影響を与えることができ、耳で聞き心で思うことが身根である口から酸っぱい水を流れさせるのです。

意識は過去の経験に依り、梅が酸っぱいことを了知しています。過去に酸っぱいものを食べた体験と経験があるため、心に酸っぱい反応が生じるのです。これらの経験は既に種子として如来蔵に蓄えられています。他人が梅の話をすると、耳根と意根が同時にその音声に対応し、耳識と意識が同時にその内容を了知します。意根は如来蔵を通じて過去の梅に関する情報を引き出し、これらの情報が意根と意識を通じて身体に影響を及ぼし、酸っぱい水が流れ出るのです。

——生如法師の開示
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