衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月12日    土曜日     第2開示 合計476開示

定業と不定業

定業と不定業とは何か。いかに区別すべきか。業果が成熟する因縁が未だ備わらざるもの、これを不定と為す。懺悔すれば消え、証果を得れば消え、明心見性すれば消え、入地すれば消え、いかなる果位を証得するも皆消ゆ。業果の因縁既に成熟せるものは定業と為し、凡夫にとっては必ず報いを受く。然れども修行に力度ある者には、業果現前する時も重罪軽報となり、また業果を転化することもあり、これ皆定まらず。

聖人にとっては一切の業果皆不定なり。実現も転化もせず、全く当人に在り。究竟理地より言えば、一切の業果皆不定なり。もし業果定まるあらば、衆生は仏と成り得ず。衆生の無量劫の罪業は永遠に滅し尽くすこと能わず、罪業滅し尽くさざれば仏と成る能わざる故なり。然るに現実世界に於いて、十方諸仏無量なり、罪業既に消尽し余すところ無し。故に一切の業果皆定まり無しと説く。

——生如法師の開示
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