問:座禅中に様々な境涯が現れ、例えば仏像などが見えた場合、どのように対処すべきでしょうか?
答:一切の境界は虚妄なものです。いかなる現象にも執着せず、来る者は迎えず、去る者は送らず。仏像を見ても喜びも恐れも抱かず、人があなたを殺しに来るのを見ても気に留めないことです。仏も魔も存在せず、全ては幻影に過ぎません。ただ呼吸を観じ続けなさい。
問:以前師父から教わった深呼吸法(腹式呼吸で、まず息を吸いきり、息を止めた後に吐き、しばらく間を置いて繰り返す能動的呼吸)を実践していました。昨日、意識的に呼吸を観じた後、自然な鼻腔の出入りを観察していると、呼吸が次第に軽く緩やかで微細になり、深く長くなくなったのですが、これは正しい状態ですか?
答:初期に呼吸を観じる際、呼吸が短く障害がある場合は、能動的深呼吸法で呼吸を整える必要があります。呼吸が均等に調整され、心が清浄になり、身心が軽安を得てから、自然呼吸に移行します。これにより正常な観呼吸の状態に入り、色身に障害がなくなります。
問:本日午後の座禅で、気の働きが急速に生じ、体が軽く虚空と融合したかのように感じました。内外の区別がなく、身体・目・胸部などが全て開放的で呼吸しているようで、空中に浮遊している感覚でした。一つの念で故郷に戻り、ある力に押されて後方へ飛び退き、「死んでしまおう」という念が起こりましたが(第七識に委ねようという意図)、その後後退は止まり、月明かりが大地を照らすのを見ましたが執着せず、最後に座を降りても体は飄々とした状態が続きました。
答:身体の感覚状態は全て禅定の境界です。心が静まると身体の四大が自然に変化し、軽安を得て空中に浮かぶような感覚になります。色身の変化がさらに心の変化を促します。境界の中で心が転じるのは定境の現れであり、心が空じられた後に生じるものです。執着しないことが正しい対処法です。定境に入る時間を過度に長くせず、定中における観行を主軸としなさい。
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