衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年05月14日    月曜日     第2 回の開示 合計487回の開示

如来蔵なくして一切法なし

柳はなぜ揺れるのか、自分で揺れることができるのか?ある者は柳の揺れは自然現象であり因縁によって生じたものと言い、ある者は風力によるものと言う。しかし世尊は楞厳経において「一切の法は自然性ではなく、因縁性でもない」と説かれた。つまりすべてが如来蔵の性質である。如来蔵を離れれば一切の法は存在せず、柳は如来蔵を離れて自ら揺れ動くことはできない。風も如来蔵を離れれば存在せず、ましてや吹き動かす作用を及ぼすことはない。禅宗の祖師は「心の外に法なく、目に満ちる青山」と説かれた。一切の法は如来蔵の心における法であり、目に映る青山もすべて如来蔵の性質である。

すべての因縁法は、如来蔵を離れれば存在し得ない。ゆえに一切の法が自然に存在するとか、因縁によって生じたとする説はすべて戯論であり、実質は如来蔵によって生じたものである。如来蔵を離れた太陽も柳も風も万物も存在せず、如来蔵を離れて自ら作用する太陽や風、柳の揺れなどの現象もない。これらの現象はすべて如来蔵の大種性自性によって生成された結果であり、同時に衆生の業力因縁を離れない。

風は四大種子の和合によって生成され、風大を主とする。大風が吹き荒れる時、なぜヒューヒューという音を伴うのか?時には怒号のような声さえあるのはなぜか?海にどうして轟音と荒波の音があるのか?これらの音も物質色法であり、如来蔵が四大種子を用いて生成したものである。物質色法が絶え間なく生滅することで、いわゆるエネルギーが生じる。地水火風によって形成された大風は、自身の種子の生滅が極めて速いため、風速を形成する。風速は実体ある物質ではなく、物質生滅現象の産物であり、これをエネルギーと呼ぶ。エネルギーも実体ある物質ではなく、物質生滅現象の産物である。

大風が絶えず生滅し、絶え間ない運動の仮相を生じさせる時、いわゆるエネルギーが形成され、他の物体に接触するとその物体に作用する。運動が極めて速くエネルギーが大きいため、両者が遭遇することを実際には衝突と呼ぶ。衝突後は物体の静止または運動状態が変化し、同時に衝突音を発する。風の塊が大きいほどエネルギーも大きく、他の物体と遭遇した際の衝突音も大きく、他の物体の動きをより変化させうる。海の音も同様に発生する。

十方世界のいかなる小さな角落も、如来蔵を離れて存在することはできず、自らの作用を持つこともない。すべては如来蔵の作用である。すべての衆生の如来蔵は刹那も休むことなく作動し、絶えず四大種子と七大種子を出力し、万事万物を生住異滅させ続ける。役に立たない如来蔵は一つもない。各如来蔵は独自の領域を持ち自ら維持すべきであり、また共同の領域においては協力し合って維持する。しかしすべてが完璧に調和している。

衆生が出生する以前より、外界の生存環境はすべて有縁の衆生の如来蔵が大種性自性を用いて既に整えており、その後で衆生はこの世に生まれ生存できる。衆生がこの世に生まれる前から、その如来蔵は長劫にわたり働き続け、世界を完成させた後に初めて衆生はこの世界に生を受ける。この星が壊滅する前には、すべての衆生の如来蔵は他の世界へ赴き建設に参加する。完成後、この世界との縁が尽きると衆生は転生する。私たちの如来蔵のなす仕事は極めて多く膨大であるが、自らを表に出さず、苦労も怨みもなく、名声も利益も求めない。本当に何のためにそうするのか、全く理解できない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

識の解は意根の証に非ず

次の記事 次の記事

縁起法による万法の源の推究

ページのトップへ戻る