龍樹菩薩の偈:諸法は自ら生ぜず、また他より生ぜず、共にせず無因ならず、故に無生を知る。
龍樹菩薩のこの言葉の意味は、諸法自体が自分で自分を生み出すことはなく、他の事物から生じることもないということです。つまり、ある事物が別の事物を生み出すことはなく、諸法は自と他が互いに和合して生じるのでもなく、生じる因なくして生まれるのでもありません。最後の文の意味は、諸法の生起には因があり、無因では生じないということです。
ではその因とは何でしょうか。根本因は実相心である如来蔵であり、万法は全て如来蔵の種子を蔵する心体から来るもので、神霊や神が創造したものではありません。万法の真実の因は如来蔵であり、源は如来蔵なのです。したがって諸法は生ある法であり、生があれば滅があります。生があるとはいえ、真実の生ではなく、全て虚妄の幻影であり、生じたようで生じず、ただの妄相に過ぎません。
真に無生の法は如来蔵のみです。それは生み出されたものではなく、本来から存在するもので、始まりがない故に終わりもありません。始めがあれば終わりがあるものですが、始まりがないからこそ終わりもないのです。
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