衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月15日    火曜日     第4 回の開示 合計495回の開示

法法真如を離れず

仏法の概論は、一切の法が真如を中心に展開され、成仏の道へと通じるものであり、法法は真如から離れない。釈尊が生涯に説かれた教えは、すべて本心である如来蔵を中心に説かれたものであり、心を離れて法は存在せず、すべての法が指し示す先も如来蔵真如である。小乗の阿含経にも如来蔵が暗示されており、時に明示的に説かれる場合もある。例えば仏は「法は如より離れず、法は如に異ならず」と説かれた。この「如」とは如来蔵を指し、ここでいう「法」とは五陰の法、十八界の法を指す。仏はまた「五陰は我にあらず、我に異ならず、互いに在らず」と説かれた。この「我」とは如来蔵を指し、阿羅漢の無余涅槃にはただ如来蔵のみが存在する。

四聖諦の理も如来蔵から離れず、苦諦は如来蔵から離れず、如来蔵によって存在する。衆生が業を造った後、縁が熟する時、苦の種子が如来蔵から出力され、衆生は苦報を受ける。苦集諦は如来蔵によって存在し、衆生が造る業の種子は如来蔵に収蔵される。苦滅諦は如来蔵によって存在し、滅するのは如来蔵中の苦の種子である。道諦は如来蔵によって存在し、如来蔵を離れて衆生は修道できず、修行に必要な一切は如来蔵が提供し、修行によって生じた善法の種子は如来蔵に収蔵され、未来において修行を継続できるようになる。

中乗の十二因縁法も如来蔵から離れず、如来蔵が身口意の種子を収蔵し出力し、如来蔵が名色の種子と六入の種子を収蔵し出力する。十二因縁の各支はすべて如来蔵によって存在する。また辟支仏が因縁法を逆推する時、最後に識を極めて還り、それ以上は推し進められない。名色の根源を推究して如来蔵に至ると、それ以上推究できなくなり、最終的に「名色は如来蔵から出生する」という結論を得る。釈尊は「識が名色を縁じ、名色が識を縁ず」と説かれた。これは如来蔵が名色によって顕現し、名色が如来蔵によって出生し作用することを意味し、二者は相互に依存し合っている。

大乗法はさらに至る所で如来蔵の機能・体性・作用を中心に展開され、如来蔵がなければ菩薩の六波羅蜜万行も存在しない。あらゆる修行は如来蔵から離れず、あらゆる法は如来蔵から離れず、仏果を成就するまで全て如来蔵に依って修行し、かつ修行の業種を収蔵するからこそ、未来に円満に仏道を成就できるのである。

——生如法師の開示
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