私が撥で太鼓を叩くと、ドンドンという音が響きます。この太鼓の音は、私の手から出たのでしょうか、それとも太鼓自体から出たのでしょうか、あるいは虚空から生じたのでしょうか。撥を止めると音は消え去りますが、その音はどこへ行ったのでしょう。そもそもこの太鼓の音はどこに存在していたのでしょうか。
一切の法は様々な因縁によって生じます。あの太鼓の音を含むすべての現象は、生じた時にも生じた場所がなく、滅した時にも滅した場所がありません。来るところなく去るところもなく、全てが虚妄なのです。なぜなら一切の法は因縁によって生じたもので、生じたものは即ち空なる幻影だからです。
仏は説かれました「因有り縁有って世間集まり、因有り縁有って世間滅す」と。この教えは小乗の立場から説かれたものです。大乗法から言えば、一切の法には出処があり、万物に出処の良からぬものはありません。その良さとは何か。一切の法は如来蔵によって生じ、如来蔵の外にある法は一つもなく、全て如来の掌中を出ないのです。
太鼓も撥も、そして太鼓の音も、全て如来蔵が様々な縁に応じて四大種子を顕現させたものです。故にこれを因縁所生の法と言い、因縁所生の法は仏が説かれたように即ち空なのです。一切の法は自心から生じますが、この心こそが如来蔵、すなわち阿頼耶識です。ただし如来蔵単独では何も生じえず、必ず妄心である七つの識と業種が必要で、真と妄が和合して作用することで初めて法を生じます。従ってあらゆる法には真心と妄心の作用が具わり、五陰の一切の法から妄心・妄相・妄境界を除き去った時、残る不動の心こそが真実の法である如来蔵なのです。
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