問:私の部屋にあるテレビや机、椅子は、私自身の如来蔵が幻化したものですか、それとも有情衆生それぞれの如来蔵が共同で幻化したものですか。
答:外界の一切の事物は、共業の衆生の如来蔵が共同で顕現したものです。一人の衆生の如来蔵だけでは、外界の如何なる事物も単独で顕現することはできません。何故なら、いかなる生存環境にも、単独の一衆生のみが存在するのではなく、無数の衆生が共存しており、それらの生存環境は共業の衆生に属するものだからです。従って、共業の衆生の如来蔵は大種性自性に基づき、共同で地水火風の四大種を形成し、これらの四大種を用いて外界の一切の事物、すなわち宇宙器世間を共同で造り出すのです。
各衆生が自ら一切の事物を了別する際には、衆生各自の如来蔵が再び単独で外界事物の外相分を、大脳の勝義根において内相分へと転換し、影像を形成します。内六根が内六塵の影像に触れると、如来蔵は更に六識を生起させ、六識がこれらの事物の影像を了別します。その後、衆生は外界の実物に触れたと認識するのです。故に、衆生が了知する一切は自らの如来蔵が単独で顕現した内相分であり、内六塵の内相分は全て幻化して実体のないものです。「凡ゆる相は全て虚妄である」とは、正にこの道理を指します。
自室の物品もまた、関連する共業衆生の如来蔵が共同で顕現したものです。無関係の衆生の如来蔵は、この顕現に参与しません。衆生自身が接触する一切の六塵境界は、自らの如来蔵が顕現した内相分であり、他人とは無関係です。外界に存在するあたかも実在するかのような机、椅子、テレビ等は、関連衆生の如来蔵が共同で顕現したものであり、机や椅子を製造した人々を含むこれらの衆生が共同で机や椅子、テレビを感現させるのです。自ら目にする時、自らの如来蔵が再び顕現し、自心の影像となり、自らが見るのは一つの影に過ぎません。
4
+1