衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月16日    水曜日     第3開示 合計497開示

外相分と内相分の由来

問:私の部屋にあるテレビや机、椅子は、私自身の如来蔵が幻化したものですか、それとも有情の衆生それぞれの如来蔵が共同で幻化したものですか。

答:外界の一切の事物は、共業の衆生の如来蔵が共同で現出したものです。一衆生の如来蔵だけでは外界のいかなる事物も単独で現出することはできません。いかなる生存環境にも、ただ一衆生のみが存在するのではなく、無数の衆生が存在しており、それらの生存環境は共業の衆生に属するものだからです。したがって共業の衆生の如来蔵は、大種性自性に基づいて共同で地水火風の四大種子を形成し、これらの四大種子を用いて外界の一切の事物、すなわち宇宙器世間を共同で造り出すのです。

各衆生が自ら一切の事物を了別する時、衆生自身の如来蔵が再び単独で外界事物の外相分を、大脳勝義根において内相分へと転換し、影像を形成します。内六根が内六塵の影像に触れると、如来蔵は再び六識を生じさせ、六識がこれらの事物の影像を了別するのです。その後、衆生は真の外界事物に触れたと認識します。故に衆生が了知する一切は、自らの如来蔵が単独で現出した内相分に他なりません。内六塵の内相分は全て幻化した実体なきものであり、「凡ゆる相あるものはことごとく虚妄なり」とはこの道理を指すのです。

自室の物品もまた、関連ある共業の衆生の如来蔵が共同で現出したものです。無関係の衆生の如来蔵はこの現出に関与しません。衆生自身が触れる一切の六塵境界は、全て自らの如来蔵が現出した内相分であり、他人とは無関係です。外界に実在するかのように見える机、椅子、テレビなどは、関連ある衆生の如来蔵が共同で現出したものであり、机や椅子を製造した人々を含むこれらの衆生が共同で机や椅子、テレビを感現できるのです。自ら目にする時、自らの如来蔵が再びこれを現出し、自心の影像となり、自らが見るものはひとつの影に過ぎません。

——生如法師の開示
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六識は勝義根の外に出ず

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鼓の音より観る因縁所生の法

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