衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月17日    木曜日     第3開示 合計503開示

万法生起の因縁

如来蔵は万法を生じる因ではあるが、単独の因のみでは万法を生じることはできず、如来蔵が様々な縁に依り、万法の種子を蔵して初めて万法を生じ、また意根の執取にも依らなければならない。一つの縁が欠けても如来蔵は万法を生じ得ず、業縁が熟し縁が具足することが万法生起の条件である。しかるに如来蔵自体は不生のもので、元より存在し、何ものによっても生じられることなく、またこれを生じ得る事物や理体も根本的に存在しない。如来蔵は天地の始源、万物に先立つものであり、法爾自然の理であって、論理的に説明すべきものではない。故に如来蔵は独立自存のものであり、他縁に依存せず単独で存在し得る。もし生じられたものであれば、それは生じたものに依存して存在せねばならず、独立し得ない。

これは浅薄な世俗法ではなく、衆生が容易に理解できるものではない。出世間法は多数の衆生と相応せず、故に衆生の理解は困難である。仏地においても、世尊の真如心が世尊の五蘊身を生じるには様々な縁を必要とし、三蔵十二部経を説くにも様々な縁を要し、戒律を制定するにも、様々な衆生を度するにも、あらゆる事柄に縁を必要とする。単独の因は法を生ぜず、法は縁によって生じ現れるのである。

世尊が娑婆世界に来臨されるにも多くの縁を必要とされ、人間界に来られる前より、娑婆世界の衆生の縁が熟したか、いつ熟するかを観察されねばならなかった。衆生の修行の縁が熟する時、世尊降誕の縁も熟し、世尊は先遣隊を人間界に遣わしてご降誕を待たせ、共に弘法に協力させられる。世尊が成道された後、三乗の法を説くにも多くの縁を必要とされ、世尊御自身が如何様にでも決定できるものではなく、常に衆生の縁とその他の関連する縁を見極められねばならなかった。

——生如法師の開示
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永明延寿禅師『宗鏡録』抜粋解説

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一切法は如来蔵性なり

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